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性描写(分類A)
【 ≪さらば遠い輝き≫と併せてお読み下さい 】


‖ 上記注意書きに危険を感じられた方はこちらからお戻り下さい ‖


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愛情系 014-1 / TYPE-S

遠い輝き
とおいかがやき






  本当は、隠していただけで以前から依頼はあったのだけど。

  近頃、目に見えて二人の生活環境に変化が出てきたような気がする。

  頻繁に鳴り響く電話のベル、自宅に届けられる郵便物の増加――それらはほとんど全て

 が外国からのものだった。


  いつからだろう、そんなものを見ている僕を彼が不安気な表情で見つめるようになった

 のは。
   
 
  ――行くのかい、僕を置いて

  彼の目がそう語りかけているのが解る。
   
 
  ――行くのかい、日本を捨てて

  その視線は当初僕を苛々とさせるものでしかなかったが、しかし年を追うごとにそれは

 “深い哀しみ”を呼ぶものへと、変わっていった。
              
 すが
  僕に依存している彼を、僕に縋って生きようとしている彼を疎ましく思うのはあまりに

 もこちらの身勝手というものだろう。

  彼に自身の意志を抑制させ僕のことのみを信じるように仕向けたのは他の誰でもなくこ

 の僕自身だったのだから。

  彼に僕の姿しか見せず僕の声しか聞かせなかったのは単なるこちらのエゴでしかなかっ

 たのだから。
                   
 つら
  そんな生活を強いておいて今更――どの面を下げて研究者になりたいなどと言い出すこ

 とが出来るだろう。

  だから僕は何も言葉にはしなかった。

  それなのに――…

  ある日の午後。突然。

  彼がぽつりと言ったのだ。

 「……僕は結局、君の足手纏いにしかならないんだよな……」

 「…………?」

  僕は自宅の新聞を読みながらアルビノーニの『アダージョ ト短調』を聴いていただけ

 だった。だから――一瞬、事態が理解出来なかったのだ。
                                    
かお
  何故彼がそんなことを言い出したのか、何故彼がそんなに思い詰めたような表情をして

 こちらを睨み付けているのかが。
  いしおかくん 
 「石岡君? 君、一体何を言って…――疲れているのかい? 顔色が悪いが……」

  言いながら、“何、莫迦なことを……”と思った。今顔色が悪いのは彼ではなく僕の方

 だろう。

  僕が彼の頬に触れるとピッと指先でその右腕を振り払われた。

 「どうでもいい、こんな惨めな男に優しくしようとするなよ……!」
                        
 ゆか
  彼は呟くと左手に持っていたらしい雑誌をバシリと床へ叩き付ける。その雑誌にも別段

 彼を不快にさせる記事などは載っていそうではなかった。行動の起因が今一つよく解らな

 い。だが――

 「邪魔なんだろ、本当はもうこんなところに用はないのに始末が付けられなくて困ってる

 だけなんだろ? ……いいんだよ、そんなこと考えなくたって。いらなくなったんだろう

 ? もう捨てていいんだよ」

  はっきりと言葉に出されて僕は未だかつて味わったことのない種のショックを受けた。
                           
 そそ
  確かに今の僕は日本に大した魅力を感じていない、興味を唆られる研究の世界に飛び込

 みたいとも思ってる、だけど――

  足手纏いだとか惨めな男だとかいらないとか捨てるとか。そんなことを言われるのは心

 外だった。

  何故君と共に在りたいと思っている僕がそんなことを言われなくちゃならないんだ、何

 故君を大切に守ってきた僕がそんな目で見られなくちゃならないんだ?

  いらないだなんて思うわけがないだろう? それならば、きっと――僕は最初から同居

 自体をしていない。

  頭の中は完全なパニック状態に陥っていたが、それでも僕は口を噤んでいるわけにはい

 かないと彼に言葉を投げ掛けた。

 “君は僕の親友だ”

 “他の人とは違う存在だ”
        
 そば
 “必要だからこそ傍にいるんだ”

 “大切な人なんだ”――

  柄にもなく言葉を尽くすが、それでも彼は納得しない。

  混乱は激しくなる一方だった。これまでにこんな場面は経験したことがないのだ、解決

 の糸口すら見つからない。

  彼の誤解による一方的な友情崩壊は混濁を極め、挙句の果てには自分からこのマンショ
  
  
 ンを出て行こうかとなどと言い出した。「同居自体を先に解消しておけば君は僕を捨てた

 という罪悪感を抱かずに済むだろう」と言うのだ。――そういう問題ではないのに。
       
さなか
  この口論の最中に彼には散々哀しい科白を叫ばれたが、そのうちこちらの頭も何らかの

 防衛本能を起こしたらしく、実際言葉の後半部はほとんど理解が出来なかった。しかし…

 …
                 
 
なに
 “その一言”を聞いた刹那、僕の中で何かが崩れた。

 「僕は君に相応しい人間じゃない。天才の君にはそんなことぐらいとっくの昔に解ってい

 たはずだろう!?」

  ――こんなに不愉快に心に響く旋律を――僕は、他に知らない。

  僕が君に相応しくない?

  天才?

  今頃になってそんな突き放した言葉を叩き付けられるなんて――友人にこんなことを言

 われて傷付かない人間がこの世にいると彼は本気で信じているのだろうか?

  だが僕に怒りの感情は沸かなかった。これは怒りというよりは、寧ろ……

 「…――――」
    
とき
  この瞬間。

  僕は初めて自分を“普通ではない”と理解したのだ。

  そう、僕は今どんなに彼に傷付けられても仕方がないと思ってる、それでも離れ難い人

 だと思ってる。時折彼は類稀なる純粋さの中にとてもどす黒く醜悪な性質を僕に見せ付け

 もするけれど……だからと言って、僕が彼を心底嫌いになることなど所詮出来はしないの

 だ。

  ――石岡君。

  どの言葉で表現すれば君に僕の想いが伝えられる?

  義務や惰性や成り行きで一緒にいたわけではないのだとどう伝えれば信じてくれる?

  親友?

  家族?

  兄弟?

  大切?

  唯一?

  至上?

 「――……愛……してる……?」

 「…――――」

  思わず口にした瞬間、茫然としてしまった。今までこちらに敵意のような眼差しを向け

 ていた彼までもが脱力しきった様子で僕の方を見ている。

 「……何、言ってんの……」

 「いや、僕は君に対する気持ちを的確に表現しようと……捜して……」

 「…は、っ……でもそれじゃ…ないだろ……?」

 「……いや……――これだよ……」

  半ば絶望的な心境で呟き僕は彼の腕を掴んだ。彼は泣き笑いのような表情をしている。

 「よく聞いてくれ石岡君、僕は、君のことを……」
      
 たち
 「ちょっ……質の悪い冗談よせよ」

 「――愛してるんだ」

 「勘違いだよ、そんなの! お前……自分が誰に向かって何言ってるか、解ってんのか…

 …!?」

 「……解ってるさ」

 「……そんな……でもそれは違う……違うよ、それは多分……間違ってる。だって、そん

 なはず…ないだろ……? 何だって、急に……そんなこと、言うんだよ……」
                    
 
  僕に片腕を取られたまま彼は力無く苦笑し空いた方の手で右目を覆った。

 「……事を丸く収める為だけの言い訳にしちゃ、あまりにも……悪趣味過ぎる……」

 「…………」

  ――まだそんなことを言うのか?
   
 ゆか
  顔を床へと向け逸らしているその態度が気に入らなくて僕は彼の身体を強引に引き寄せ

 た。言い聞かせるように言葉を続ける。

 「間違えてもふざけてもいないよ石岡君、僕は、君のことを……」

 「やめろ」

 「愛してるんだ」

 「――うるさいっ!!」

  何度でも解るまで繰り返してやろうと思っていたら急に身体ごと振り払われた。彼の爪
                                      
とんじゃく
 が僕の顔に当たったのだろう、頬にピリとした痛みが走る。だが彼はそんなことには頓着
         ・・・
 せず僕に言った。あの夏を思わせる鋭さで僕を真っ向から睨み付ける。

 「うるさい、違う違う違う!! 愛なんて言葉軽々しく口にしないでくれ、それは相手に欲

 を持つ感情だ! 君は――そんなことをこの僕にしたいと思うのか!?」

 「…………」

  ……段々と腹が立ってきた。

  何だって彼はこうも解らず屋なんだろう。

  だが彼の言葉に答えようとすればする程“自分にすら見えていなかった真実”が明確に

 なってゆく気がするのだった。何故もっと早く――これ程単純なことに気が付かなかった

 のだろう。
                             
 なん
 「セックスがどうとかそんなことは知らない、君達が言う行為が何なのかも僕は知らない

 し、知りたいとも思わない、でも……」

 「……でも……何だって言うんだよ……」

  言うと、僕は再び彼の腕を絡め取りその華奢な身体を力一杯抱き締めた。
                              
 
あと
 「僕は今こう思ってる。君にこの言葉が、心が伝わらないのならば後は身体で伝える以外

 に方法はないのだと。……こうして……」

 「いっ、た…――」

 「無理矢理にでも押さえ付けて、この腕の中深く閉じ込めて、君を……とにかく大人しく

 させる以外には、方法がないのだと……」

 「や…めろよ、何…っ…――――」

  もういい、もう何も聞きたくない。彼の口を閉じさせたくて僕はその唇にキスをした。

 だけどそのキスはほんの数秒間、彼の刃物のような言葉を奪い取っただけで。僕はバシッ

 と強く左の頬を殴られる。

 「――…酷いな……」

 「……どっちが……」

 「ファースト・キス……だったんだぜ? 今の……」

  苦笑混じりに呟く僕に彼は双眸に涙を溜め一言言った。

 「――失望、したよ」
            
 ドア
  バタンという彼の私室の扉が閉まる音を聞いた時、僕は世界が終わったのだと、感じた。





    **********




        
 
  それから数時間後、部屋から出てきた彼の顔を見て僕は初めて罪悪感を自覚した。

  泣かせたいわけではなかったのに、悩ませたいわけでは、傷付けたいわけではなかった

 のに。
                      
かお
  少なくとも、出逢ったあの頃は。彼にこんな表情をさせる為に、彼にこんな人生を与え

 る為に友好関係を結んだわけではなかった。

  恐らくは、彼の方も同じ気持ちだったのだと思う。“酷いこと”をしているのは――や

 はり、僕の方なのかも知れない。

  彼はソファに坐っていた僕の腕を無言で引っ張り立たせると、そのままリビングを横切

 りステレオのある部屋の隅まで歩いて行った。

  初めて出逢った頃に着ていたのとよく似た色合いのシャツを身に纏い。彼は、正面から

 僕を見上げ哀しい声色でぽつりと言う。

 「……一度だけ……」

 「…………」

 「……キスして、くれるかな……?」

  心持ち頬を上げ静かに双眸を閉じ合わせる、そんな彼に僕は素直に口吻けた。
                        
 
  溶け合うように重ねた粘膜、その隙間を互いの舌で埋めてゆく。ねっとりと唾液を絡め、
  
  みずおと
 幽かな水音を響かせながら二人は密やかに唇を交わし合った。
        
 すが 
  やがて僕の首に縋り付き涙を流し始めた彼をそのまま全身で受け止める。

  これがきっと――この世で僕が交わす、最後のキス。

  唇をつっと離すと、彼は僕を見上げていった。

 「……今度こそ、よく解ったよ……君の、気持ちは……酷いことばかり言って、ごめん…

 …ね……」

  呟くようにそう言いながら、彼は静かに涙を流す。

 「……君を好きになれたら、良かった……」

 「……仕方がないさ」

 「ごめん、ね……ごめん……」

 「……いいんだよ、僕の方こそ……今更こんなことを言って、ごめんね……」

  彼の涙を肩に受け僕はただ精一杯にその身体を抱き締めた。

  知りたくなかった。

  気付きたくなかった。

  ただの親友なら、同居人なら、同僚なら。二人の関係も――少しは、変えられたかも知

 れないのに。

  中途半端なままの関係を持続させていた僕達は、その中途半端さ故に、どこへも辿り着

 くことが出来ない。

  彼は僕の肩で自らの両腕を突っ張ると顔を俯けはっきり言った。

 「――研究をしに、行ってくれ……」

 「…――――」

 「こんな状態のまま暮らし続けるなんて不毛だよ……どちらもが、辛い想いをするだけだ。

 お互いの為には、ならないよ……」

 「……あぁ」

 「恩知らずな男だと、自分勝手な、無神経な男だと思ってくれても構わない、でも……そ

 んな理由で君に応えたくはないんだ、今すぐに答えを出すことなんて出来ない、だから…

 …」

 「――あぁ。少しの間……お別れ、だね……」

 「答えは必ず出す。莫迦なりにでも、一生懸命考えて……必ず、答えてみせるから。――

 友人としてしか見られないのなら、僕はいずれこのマンションを出るよ。でももし、僕の
  
 なに
 中で何かが変わったら……」

 「……伝えに来てくれる日を心待ちにしているよ」
        
 みたらいくん
 「……さようなら御手洗君。元気で」

 「……あぁ、さようなら石岡君。君もね」
                                   
 
  彼の言葉に薄く微笑み、僕は小さく頷いた。カナダとノルウェー、どちらへ行くべきか
          
  さき
 悩んでいたが、今その行き先が決まったのだ。

 「――頭を、冷やしてくるよ……」



  僕は初恋を自覚した同日その相手に恋情を告白し、振られた。

  だから日本を去るしかなくなったのだ。

  その人は僕の親であり兄弟であり親友でしかない存在だったから。
         
 
  彼の傍以外で僕の行けるところなど、研究所の他にはどこにもありはしなかったから。

  さようなら石岡君。

  二人で築いた思い出の数だけ哀しくなることが解っているから、僕は敢えて何も言わず
        
  

 にふらりとここを出て行くよ。
          
  君がこの部屋を出て行くか僕を追ってきてくれるかは神のみぞ知る運命だけど。

  答えが出るまで待ってるから。

  ずっと――待ってるから……





    **********





  古いヨット・クラブにあるバーで友人と酒を酌み交わし。
         
 はな
  つい感傷的になり話しながら、僕はあの日のことを思い出していた。
 
 いと   いと
  愛しくて厭しくて。いつも僕を堪らない気分にさせた唯一の人。

  今も未来を決めあぐね、僕を遠い異国に置き去りにしている――とても惨酷で誠実な、

 僕の想い人。



  ――
青年はとても清潔な顔をしていた。大抵白いワイシャツを着て、薄い胸が頼りなさ

    
そうに目の前で動いた。そして何かをする度に哀願するような目が自分を見、その

    
度に堪らない気分になった。その気分は穏やかなものなどでは到底なくて、ほとん

    
どノックアウトを喰らい続けるような痛みだった。あんな酷い気分は生まれて初め
                       
いのち
    
てだった。助けてやらなければと、自分が生命を懸けてこの青年を助けてやらなけ

    
ればと思った。あの瞬間、自分は何かに目醒めた。言ってみればそれは、自分一人

    
だけで気ままに生きていくんじゃなく、時には誰かを導いてやらなくてはならない

    
という自覚だ。僕にはその使命があった……



 「ハインリッヒ、これが君の言う例にあたるんだろうか……?」

 「…………」
                 
 はな
  感情に任せてつい柄にもないことを話してしまった。“おかしいこと”だとも“恥ずか

 しいこと”だとも思いはしない、ただ――自分らしくない、と。

  それだけを自覚し打ち明けた告白だった。

  想い続けた十九年間、それら全てを――否定、して欲しかったのかも知れない。

  だが。
                 
 すが
  ハインリッヒは辛そうにその双眸を眇めると僕に向かってこう言った。「それは答えが

 欲しくて訊くのかい?」と。

 「――私が訊いた質問は憶えているねキヨシ? 私は君に“犬や、このビールや、私や、

 この海や、ストックホルムの街や、クルーザーや――そんなレヴェルではなく――好きな

 もの”を、“他人の痛みを自分の痛みに感じて、呼吸さえ苦しくなり、その哀しみと苦痛

 とで相手と自分との位置を確認し合うような、そういう種類の出来事”を訊いたんだ」

 「……解ってる」

 「“一度だけある”、と君は私に答えた。……そうだね?」

 「……そう、だよ……」

 「ではここで私が“それは――その時感じた哀しみは、心の痛みは愛情ではないと――私
       ・・・・・
 の言う例にはあたらない”と言ったら……君は、どう思うんだい……?」

 「……別に」

 「それは、他人にどう言われようと真実は変わらないからじゃないのか?」 

 「そうかも、知れないね……」
                          
 
  僕はゆっくりビールを呷ると暗い海を眺めつつ溜め息を吐いた。

 「ハインリッヒ……僕にはこんな気分になった時思い切り泣かせてくれる親友がこの歳に

 なってただの一人もいないんだ……」

 「――…なかなか失礼なことを言う男だな、君も。

  でもまぁ、そうか……“彼”でなくては役不足、だが“当人”にそれを打ち明けるわけ

 にもいかない、となると……」

 「…………」

 「……しかしどの分野でも複雑だな? 君の世界は」

 「生まれと育ちが複雑だったものでね」

 「今夜は朝まで付き合うよ」

 「そいつは有り難い。――あぁ君は僕のいい友人だよ! ハインリッヒ」

 「どう致しまして」

  苦く笑った僕を気遣い、彼は改めてグラスの音を響かせた。ああ――…







  いつ終わるんだろう、この恋は。

  いつ終わるんだろう、この旅は。

  ねぇまさか、僕との約束を忘れてしまったわけじゃないんだろう?

  答えてよ――…僕の、“遠い輝き”……












…臭いから執筆時にはノーコメントで通していたこの作品。
ちょっと遣り過ぎかなと思っていたのですが、
まぁそれ程おかしな妄想でもなかったようで……(苦笑)。
待っているのは御手洗さんの方かも知れないよ? というお話。
お粗末様でした。



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