■■■
■■
■■

悲劇

‖ 上記注意書きに危険を感じられた方はこちらからお戻り下さい ‖


■■■
■■
■■



愛情系 006-1 / TYPE-S

火葬
かそう





   みたらい
  御手洗さんが死んだ。
              さいちゅう
  どこかの階段を昇っている最中に、足を滑らせ転落してしまったらしい。

  階下からその様子を目撃していた人が慌てて救急車を呼んだけれど、病院へ着いた頃に

 はもう事切れていたそうだ。――どうせまた考え事に熱中し過ぎて足元もろくに見ていな

 かったのだろう。

  撮影所に電話をくれた彼の友人は「いつかこういうことになるんじゃないかとは思って

 ましたけど」と言い短く笑声を洩らした。

  あまりの現実感のなさに、私も少し笑った。





    **********





  彼には家族がいないから葬儀はあちらにお任せしたんです――そんな科白を淡々と語っ

 た彼に私は思わず絶句した。僕は身内じゃありませんしね、さも当然のように言う彼の神

 経が私には理解出来ない。

  過去の同居人程度があまり出過ぎた真似をしたくない、そう思っていることは明白だっ
                    
ひと
 たが、彼はその特異なまでの謙虚さで時折知人を深く傷付けていることを自覚しているの

 だろうか? ――こんな男に激しい嫉妬心を燃やしていた自分が情けないと、私は最愛の

 男の死よりもその現実を哀しんだ。

  大した私物は遺っていないそうですけど、もし希望されるのでしたら彼の知人に部屋を

 案内して貰えるよう手配しましょうか? その冷たい言葉を聞いた私は答えを知っていて

 彼に訊ねた。

 「貴方は行かないの?」

 『――ええ、言葉が通じない僕なんかが行っても周囲に迷惑がかかるだけでしょうからね』

  ――こんなに人を憎いと思ったことはなかった。
                      
 こら
  私は受話器を握るとどうにか叫びたい気持ちを堪え、ウプサラ大学の連絡先を聞くと礼

 を言い通話を終える。

  彼の死を純粋に哀しめない自分が、何だか寂しかった。





    **********




        
ひと
  御手洗さんは人間を見る目がないと思う。人間的に大した価値のなさそうな人ばかりを
             
プライド    エゴイスト
 何故か身近に置きたがる。自尊心のない利己主義者ならば自分を耀かす為にそうした手段

 も選ぶだろうが、彼にはその必要は全くない。あれはただ単に趣味が悪いだけなのだ。

  連絡を受けたその翌日にウプサラへと飛んだ私は、ハインリッヒの友人から地図を預か

 り彼のアパートを訪れた。――普通、こうした行動を取るのが友人というものだろう。あ

 の男の精神がまともではないのだ。よく彼は御手洗さんのことを狂人呼ばわりしていたが、

 私から見れば彼も相当おかしいと思う。

  あの病的なまでの脆弱さははっきり言って異常だ。女ならばそれでも可愛気に見えるだ

 ろうが、成人男性があんな風では少しだらしがなさ過ぎる。

  私は御手洗さんの部屋にいるのに何故あの男のことばかり考えてしまうのかと苦々しい

 笑声を放ちながらデスクの引き出しを開いた。

  そこに――
     
 
  私は封の為された一通の手紙を見つけたのだった。それは未開封の封筒の間に隠匿する

 かのような恰好で差し込まれている。普通ならばちょっと見つからない場所だ。

  エアメイル専用の封筒には、懐かしい彼の文字で差出人の名前のみが記されている。受

 取人の名はない。





    **********





  この手紙は君に出すつもりで作っているわけじゃない、僕が僕自身の気持ちを吐き出す

 為だけに作るものだ。だから
――別に何を書いても構わないだろうとは思ってもいるのだ

 けれど。

  万一僕がこのアパートに帰れない理由が出来、誰かにこの封筒を発見されたら間違いな

 く封は切られてしまうだろう。だからほんの少しだけ用心してこの先の文章を綴らせて貰

 うことにする。…君みたいな有名人に、迷惑をかけたくはないからね。



  初めて君に逢った時。あの時のことをこんなところで長々と語ることはしたくない。君

 にとってはとても哀しいことの多い事件だったし、僕にとっても君との出逢い以外に嬉し

 いことはなかったし。

  …でも僕は。君には色々と厳しい言葉も貰ったけれど、あの時君を何て弱い人だろうと

 思った。何て脆い人だろうと思った。君の激しさに強さに戸惑いもしたけれど、でも
――
                 
いのち
 …守ってあげたいと思ったよ。この生命を懸けても、君のことを守ってあげたいと思った。

 お礼の言葉も貰ったからね、努力は理解してくれたのだと思うけど……でもきっと、君は

 僕の気持ちまでは理解していなかったんだろうね。あの時から君は、僕の特別なんだって。



  出来ることなら、頑張っている君を強く抱き締めてやりたかった。僕はこういう人間だ
              
 けな
 からしょっちゅう君を叱ったり貶したりしたけれど、僕は君のその理解し難い言動も含め
   
 はな
 て君と話している時間が好きだった。君は確かによく僕のことを苛立たせもしたけれど
                    
 いと
 
そんな思い出さえ、逢えなくなった今では愛しいものと感じてしまう。

  ねぇ僕は、あの時君を救うことが出来たのかな? 君の心に残った傷を少しでも癒すこ

 とが出来たのかな。馬に跨り現れた僕を君は騎士だと言ったけど、本当は僕は君の心友に

 なりたかったんだ。…何て言ったらいいのかな、巧く、表現出来ないけれど。



  どこにいても、どんなに遠く離れていても変わらぬ親密さで相手と語り、笑い合える。

 そんな関係を築きたかった。僕は君が好きだった。
――だったらあんな態度を取らずにも

 っと優しくしてくれれば良かったのにって思ってる? でも僕達は随分とややこしい世界

 に生きているからね、そうするわけにはいかなかったんだ。君を怒らせるのもなかなか楽

 しいと思っていたしね、そうした表情を見るのも好きだった。



  君なんかのどこに惹かれているのか
――敢えてそう表現させて貰うよ、君みたいな人の

 どこにこんなに惹かれているのかは
――自分でもよく解らない。だけど――

  …僕は君が好きだよ。出逢った頃からずっと。君が苦しんでいる時は僕も同じように苦

 しいと思ったし、君が幸せそうに笑っている時は多分僕も幸せだった。はっきり言ってし

 まえば君には深い愛情も持っていた
――こう表現すると君は今までのことを色々思い出し

 悩んでしまうかも知れないね。でも、それが僕の中のたった一つの真実なんだよ。君の哀
         
とき
 しみを受け入れた瞬間、僕は君に深い愛情を感じたんだ。どういう意味に取って貰っても

 構わない、でも
――今でも、その想いは少しも変わっていないから。



  最後に、これだけは言いたかった。困った時に僕を思い出してくれて、僕を信じてくれ

 てありがとう。

  優しくしてあげられなくて
――ごめんね。
                                       
きよし
                                     御手洗潔












  手紙を片手に愕然としてしまった。

  これは間違いなくあの人が書いたものだ。単に筆跡が一致しているからという理由では

 ない、私には解る。

  しかし
――何といういい加減な文章だろう、これ程までに曖昧な手紙を、私は未だかつ

 て見たことがない。

 「
――…何なのよ、これ……」

  私は思わず呟いていた。自分が何を考えるべきなのか、何を考えているのかももう解ら

 ない。何故彼はこんなものを遺したのだろう、何故私はこれを見つけてしまったんだろう。

  気が付くと、私は小さく声を上げて笑っていた。
               
 ひと
  本当に最後の最後まで意地悪な男ね
――そんな科白が唇から零れ落ちる。…だってそう

 でしょう? この手紙の受取人は
――間違いなくこの私だったはずなのだから。



 『…君みたいな有名人に、迷惑をかけたくはないからね』

  ――莫迦ね御手洗さん、私はちっとも迷惑だなんて思わなかったのに。

 『君にとってはとても哀しいことの多い事件だったし…』

  ええそうよ、私はあの事件で大切な家族を喪った。でも不幸ばかりじゃなかったわ、貴

 方という人に逢えたんだもの。

 『出来ることなら、頑張っている君を強く抱き締めてやりたかった』

  嬉しい……いつだって貴方は私のことを見守っていてくれたのね。
――そうよ、私はい

 つも一生懸命だった。でも、「ヘイ、レオナ、よく頑張ったね」
――貴方のその一言さえ
                  
 こな
 あれば、私はどんなに辛い仕事も平気で熟すことが出来たのよ。

 『ねぇ僕は、あの時君を救うことが出来たのかな?』

  貴方がいなければ私はもうとっくの昔に死んでたわ。

 『君を怒らせるのもなかなか楽しいと思っていたしね、そうした表情を見るのも好きだっ

 た』

  じゃああのつれない態度も全部貴方の意地悪だったわけね? 酷いわ御手洗さん、私貴

 方に嫌われているのかと思ってた。



  途端にぽろぽろと涙が零れる。よく考えたら
――私は彼の死を知ってからまだ一度も哀

 しみの涙を流してはいないのだった。とても哀しかったのに。この世の終わりだとまで思

 ったのに。何故かどうしても涙だけが出なかった。……心のどこかで彼の死を信じていな

 かったせいかも知れない。



 『でもきっと、君は僕の気持ちまでは理解していなかったんだろうね。あの時から君は、

 僕の特別なんだって』

  この手紙は私のものよ……だって、私が見つけたんですもの。
             
とき
 『君の哀しみを受け入れた瞬間、僕は君に深い愛情を感じたんだ』

  私のものよ。だって、あの男は今ここにいないじゃないの。

 『僕は君が好きだよ』
                           
 ひと
  …あはっ、じゃあ私達は両想いだったってこと? 莫迦な男ね、どうして口に出して伝

 えてくれなかったのよ。私程貴方を愛せる女はこの世の中にいないのに。

 『…僕は君が好きだよ。出逢った頃からずっと』

  私のものよ私のものよ私のものよ、誰にも渡さない…! だってこれは私への告白だも

 の、あの人が私の為だけに書いてくれた手紙だもの……!



 『優しくしてあげられなくて
――ごめんね』



  私は顔面を覆い声を上げて泣き出した。言葉に出して伝えて欲しかった、私の目を見て

 この告白をして欲しかった。だってこれは私へ遺した言葉なんだから。そうでしょう? 
                                   
 ひと
 私の他にこの手紙を受け取る筋の人なんてどこにもいやしないわ。だってあの男には優し
              
 ひと
 かったもの、どんな時でもあの男にだけは優しかったもの……!


      
 キッチン
  私は簡素な厨房へ向かうと火を点けたコンロの上へ右手を翳した。真っ白な便箋がじり
   
 すす
 じりと煤に変わり雑然とした室内へ散ってゆく。

  私はちゃんと受け取ったわ御手洗さん。貴方の手紙を見つけ出し、貴方の想いを受け取

 った。
――…ねぇ、これでいいんでしょう?

  いつまでも燃え続ける炎を見つめ、私は小さく呟いた。そして私は改めて最愛の男の死

 を悼み、ただ静かに、涙を流し続けた。











彼女を“惨酷な女”と取るか“可哀相な女”と取るかは読者様次第です。
でもこれは“絶対に有り得ない話”だと言えないだけに
哀しいと言うか切ないと言うか……
皆、幸せになりたいだけなのにね(涙)。



≪words 愛情系≫005-1 へ ≪words 愛情系≫トップへ ≪words 愛情系≫007-1 へ