友情系 012-1 / TYPE-C

運命だったんだよ
うんめいだったんだよ





  いしおか        
 「石岡くーん、もし手が空いているのなら紅茶を淹れてくれないかー?」

  自室での読書に疲れリビングへ向かうと、そこには誰もいなかった。玄関先をひょいと

 覗くと彼のスニーカーが見当たらない。恐らく買物にでも出てしまっているのだろう。

 「…やっぱり一人だと退屈だなぁ」
                                   
 
 どくげん
  今の今まで自分の仕事に没頭し彼を一人にしていたことを棚に上げ僕は勝手な独言を洩

 らした。どかりと腰を下ろした英国風ソファの上で長い足をすっと組み、ぼんやりと室内

 の様子を見回す。

 「――…ン?」

  するとテーブルの下に小さな紺色のスケッチブックが落ちているのを発見した。誰かか

 らの預かり物でないのなら十中八九彼のものだ。

 「イラストレーターのスケッチブック、か……」
                                  
 
  そういえば例の事件で彼と知り合ってから四年と八ヵ月、僕は未だに彼の描いた絵とい

 うものをただの一枚も見せて貰った記憶がない。
                      
 えが             そそ
  あの不思議な青年がどんなものをどんな筆致で描いているのかと非常に興味を唆られた
                          
 
 僕は、大した罪悪感も抵抗も抱かずスケッチブックの紐を解いた。

  ――…おや? 何だろうこれは。

  ……ザリガニ……?
                             
みたらい
 「あ――っ!! また君は勝手に人のもの見たりして! 返せよ御手洗っ、全くもう油断も

 隙もないなッ!!」

  ――なかなか酷いことを言う。彼を繊細で穏和だと信じている人がいるらしいがそれは

 一緒に暮らしたことがないからだろう。…まぁ“そんな人間を怒らせるお前が悪い”と言

 われればそれまでではあるのだが――…彼は、スーパーのヴィニール袋を玄関先に置くと

 つかつかと僕に歩み寄りスケッチブックを奪い取った。

 「こういうものを無断で覗かれて喜ぶ人間はそう多くはいないのだということを今すぐそ

 の優秀な頭に叩き込んでおいて貰おうか」

 「そんなに恥ずかしがらなくたって別におかしなものは見ていないよ」
          
 
 「おかしなものなんか描いてないっ! でも――どこまで見た!?」

 「……一頁目のザリガ二……」

 「ザリガニっ!?」
                
 あと
  彼は怒気を含んだ声でそう言った後、はたと冷静さを取り戻し右手にあるスケッチブッ

 クの表紙を眺める。ンン? と眉根を寄せ呟きながら、僕の方を向き直り言った。
                     
          なに
 「ちょっと待て、ザリガニ……? そんなもの描いた憶えないぞ、君何か勘違いしてない

 か?」

 「えっ、ザリガニじゃなかったのか? じゃあ何あれ、ロブスター? ――と言うかその

 前に何でこのスケッチブックはテーブルの下に落ちてたんだ?」

 「えっ? あぁ何だ、テーブルの下に落ちてたんだ? ……そうか……今朝急に思い付い

 て古い資料とか整理したから、その時に一冊落としちゃったんだな。いやー、僕はまた君

 が暇潰しに部屋でも物色して揶揄ってきているものだとばかり……」

 「――謝ってくれたまえ」

 「ごめんごめん、いや、やり兼ねないなと思って。それにしても――これ、僕自身も忘れ
          
 
 てるんだけど一体何が描いてあるスケッチブックなんだろ」

  彼は心底不思議そうな面持ちで僕から離れると恐る恐るという感じでスケッチブックの
                                  
 なに
 中身を確認する。――そんなことよりも何だか僕の頭の中でとても重要な“何か”が引っ

 掛かっているのだが……

  すると異様に沈んだ声色で彼がぽつりと呟いた。

 「……サソリ……」

 「……は?」

  僕が考え事を中止し顔を上げると彼はスケッチブックの一頁目を大きく開きそれを眼前

 へと突き付ける。不快さを滲ませた口調で言った。

 「これは蠍!! ザリガニでもロブスターでもなくて! 君は元・占い師だろう!? 何で見

 てすぐに解らないんだ!!」

 「だって……」
                                  
 なん
  仕方ないじゃないか、見た瞬間そう思っちゃったんだから。大体この蠍、何かヘロヘロ

 してて凄いやる気なさそうなんだもの。“僕を捕まえて”とか“食べて”って感じで。
                  
 なん
 どこかしら弱々しいって言うかさぁ……何かこれ、昔僕が担当してた占い頁のイラストみ

 たい…――

 「――あ――――っ!!」
                          
 めく
  僕は彼の手から奪い取ったスケッチブックの頁を次々と捲りながら隣家にまで届きそう

 な大声を上げた。
  
 にしおぎくぼこまち
 「“西荻窪小町”!?」

 「――――…!?」

  僕が叫ぶと彼は激辛ラーメンを試食させられたリポーターのように顔の色を赤くした。

 信じられない――こんなことって。ああ、野性味の感じられない獅子、妙に色っぽい風貌

 の乙女、どれもこれも懐かしい……!
                                    
 てい
  思わず泣きそうになりながらリビングに立ち尽くしていると、やがて放心した態の彼が

 僕の方を指差して言った。
                 
 かげのすけ
 「……まさか君……“ムーンナイト☆影之介”!?」

 「――あぁその通りだ。…僕も未だに信じられないがどうやら君とは知り合う以前から仕

 事上のパートナーだったようだね」

 「フッ、…フッフフフフフフフ……」

 「あはははははは、いや本当に凄い縁だよね、これはもう運命としか言いようがないなァ

 !」

 「あっはははははははは!」

  顔を見合わせて高らかに笑うと、ふと真顔になった彼がスケッチブックの頁を閉じる。

 にこっと爽やかに微笑んできたので素直に微笑を返したら、突然ズバン! とコントのよ

 うな音を響かせ彼は僕を凶器で殴り付けた。

 「…!? いっ、いきなり何を…」

 「――西洋占星術師・ムーンナイト☆影之介! お前には言いたいことがあったんだ、ち

 ょっとそこに坐れッ!」

 「…――――!?」

  僕はトン、と胸を突かれそのままソファへと沈められる。な、何だ? 石岡君……一体、

 どうしちゃったんだ??
       
 いえ
  彼は僕がこの家に無断で犬を連れ込んだ時のような顔を作り口調を荒げるとこう言った。

 「お前の占いは嘘ばっかりだ!!」

 「なっ、…何っ!?」

  ――ちょっと待ちたまえ、西荻窪小町君(どうでもいいけど変な名前……そもそもこれ

 は“西荻窪小町”という一つの単語なのかそれとも“西荻窪”が名字で“小町”が名前な

 のか? 誰だよ考えた奴、センスないな!)、今の発言はプロの占星術師として聞き捨て

 がならないぞ!?

 「嘘!? 嘘とは何だ!」

 「だってそうじゃないか、僕はあの占いを信じてろくな目に遭ったことがない! 例えば

 “今日は勝負事にツキ有り”なんて書いてある時に信用して賭けポーカーをしたら二万四

 千円も大負けしたり!」

 「自分のゲームの実力を占いのせいにしないでくれ」
                      
つまず
 「“頭上に注意”なんてのを信用したが為に石に躓いて転けたり!」

 「そんなのは君がうっかり屋なだけじゃないか」

 「“クジ運最高☆”なんて言いつつ宝クジが全然当たらなかったり!」

 「冷静になれよ、宝クジの当選者が全員天秤座なわけないだろう」

 「“香水を付けているといいことがあるかも”とか目茶苦茶女性向きのことが書いてあ

 ったり!」

 「それは香りを身に纏えという意味だ、相変わらず応用が利かないな」

 「大体“ラッキースポットは暖炉の傍”って何だ! 日本だぞここは!?」

 「日本でだってたまには暖炉ぐらい見かけるさ! って言うか占いにそう出たんだから仕

 方がないだろう!」

 「中でも最も大嘘だったのが一九七八年の年間占いだ! 何が“今年上半期に運命的な出

 逢いをしその相手と生涯を共にするかも”だよ! 僕はあの占いを心から信じていたのに

 ――!」

 「えっ、そんなことを書いていたのか、僕は!?」

  驚いて思わず彼の双眸を見つめた。僕の反応に彼も気勢を削がれたらしく、不思議そう

 にこちらを見つめ返している。あぁ……僕って何をやらせても天才だと思ってたけど。そ

 んなことまであの時点で予見しちゃってたわけか。……参ったね。
        
 あと
  急に黙り込んだ後にすっとソファを立つ僕の姿を彼はただ茫然と見守っていた。“少し

 言い過ぎたのかな”とでも窺いたげな表情に心の内で苦笑を洩らす。今年で三十三にもな

 ろうかという成人男性を捕まえて言うのも何だと思うが、つくづく可愛いと言うか純粋と

 言うか――…

 「“運命的な出逢い”に“生涯を共にする”、か……」

  僕は呟き彼の目の前に立った。半分成り行きめいた同居だと、自分で決めた人生だと思

 っていたが、結局は大いなる力に踊らされていたのだということらしい。しかしそんな運

 命を心地好いとさえ思いながら、僕は言葉を繋いだ。

 「その占いは当たっているよ石岡君、だって僕達はその年に出逢って今ここにいるんだか

 ら」

 「…えっ?」

 「いやー、今回のことで僕は自分の能力に改めて自信を持ってしまったよ。犯罪捜査に興
                
まっと
 味など抱かず占星術師として人生を完うすることをもっと真剣に考えるべきだったね。今
    
 けっ                  
 あした
 からでも決して遅くはないと思うが――この事務所、明日にでも占星学教室に変えようか

 なァ、石岡君?」

 「はぁっ?」

  にこっ、と鮮やかな笑顔を向けこう言うと彼は心底驚いたように両目を大きく見開く。

  そして僕は――

 「あぁ…心配しなくていい、君には今まで通り占星学教室の助手としてここにいて貰うか

 ら。ちょっと仕事の内容は変わるだろうがね、生活自体はそう変化しない。ま、気負いす

 る程のことはないよ」
                            
 あと
  大したことではないように付け加えてやった。暫しの沈黙の後、少しずつという感じで

 彼の眉間に怒りが刻み込まれてゆく。――――来た。

 「……ふざけるな――っ!!」
                                      
 なに
  思いっ切り、という声量を彼は室内に響かせる。隣りの住人に“また御手洗さんが何か

 したのか”と噂されていることは予測するまでもない。

 「僕は事件作家なんだぞ!? 原稿を書かなくちゃ生活出来ないんだぞ!? 君の占いだけで

 二人の大人が食べていけると本気で思っているのか!?」

 「君はまだイラストの仕事を完全にやめてはいないだろう?」

 「もう以前程の依頼は受けていないよっ、収入はそう多くない!」

 「あぁ……あのロブスターじゃねぇ……」

 「うるさいっ!! ――大体! 何で毎回毎回僕が君の仕事を手伝わなくちゃならないんだ
           
 いえ
 よっ! ここは君だけの家じゃないし! って言うかずっと一緒にいるつもりもないし! 

 考えたら何でこんなところにいんのか解んないけど! とにかく――僕は理想の女性に出

 逢ったら君なんか置いてさっさと結婚するからな!!」

 「無理だと思うけど。だって君は……」

  僕と――“運命”と出逢ってしまったんだから、ね。

  彼は“勢いだけの結婚宣言”をした時よく取る行動の常として僕からツンと顔を背ける

 と自室へと向かい歩いて行った。

  ――かと思ったら慌てたようにリビングへ取って返し、買物のヴィニール袋を両手に掴

 むと「ああぁ〜」と呟き衝立の向こうへ消える。
                                     
 めく
  僕は再びテーブルの上に取り残されているスケッチブックを拾いパラパラと頁を捲ると、
        
 えが
 天秤らしきものの描かれている頁を開き口元に微笑を浮かべた。

  例え相手が神であろうと僕は他人にあれこれ道を決められるのは好きじゃない。自分の

 生き様も人生のパートナーも自分の力で捜し出す。だけどたまには――星々の導くままに

 従ってみるのも悪くはないだろうか。

  彼は……家庭運に恵まれず生きてきた僕の為に神様が用意してくれた唯一にして最大の

 家族なのかも知れないな。

 「あくまでついでなんだからな」と言い訳しながら二人分の紅茶を用意し始めた彼の背を

 衝立の向こうに見つめ僕はそっとスケッチブックの頁を閉じた。



  ――…運命、だったんだよ。











これは初めて書いた≪友情系≫のコメディ。
でも制作時の印象ってあまりないんですよね。
ただ、この話はお二人の名前を考えるのに物凄く時間を取られた記憶があります。
本当はもっと面白い名前を付けたかったんですが……(泣)。
ちなみに“ムーンナイト☆影之介”のナイトは“夜”ではなく“騎士”の意、
(←残りの単語はバラすと“月影星之介”になります)、
“西荻窪小町”は姓名に分けて発音して下さるのが正解です。
石岡君、女名な上に自ら“小町”を名乗っていることが私はとても気になりますが……(笑)。




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