]



 「…なっ、何だよ……一体何がおかしいんだ……!?」

  私は思わず叫んでいた。平和主義の私にしてみれば今の科白は非常に珍しいことだった
    
 あと
 と言った後に驚く。

  しかし私は自分の友人を嘲笑った男をどうしても赦せないと感じたのだ。そしてこんな
                        
わけ
 場面で笑うこと自体が犯人である証拠に違いないと根拠もなく思い込み、相手をきつく睨

 み付けた。

  口元に厭味な微笑を湛えていたのは東宮千尋だった。そしてずっと組んでいた両腕を優

 雅な仕草で広げてみせ、とんでもないことを言い出したのである。

 「さて皆さん、ここで大変貴重なる魔術を御覧に入れましょう」

 「はあ?」

  怪訝な表情で彼を振り返らなかった者は助手の島崎を含め誰一人としていなかったと記

 憶している。だがそんな周囲には一向にお構いなく、東宮は城野の前に立つ島崎の耳に何

 事か囁きを入れるとその肩をポンと叩いた。
          
 みな
  そしてそんな情景を皆と一緒にぼんやりと眺めながら、この時の私は尚も浅はかなこと

 を考えていたのだ。

  そうだ、この二人は魔術師だった、何故こんなにまでも怪しい人物を我々は放置してお

 いたのだろう。彼等になら大衆の眼前で物を消滅させることぐらい造作もない作業のはず

 だ。彼等にならば出来る、と――

  すると私の悪意を敏感に感じ取ったらしい東宮が、この場に似付かわしくない陽気な口
  
 はな
 調を放った。

 「…おや、石岡さん、もしかして黄金像を隠したのは僕達の仕業だと疑っていらっしゃる
               
 なん
 んですか? でも今の僕達には、何の準備もなくあんな金属の塊を消し去ってしまうこと

 は出来ません。――見つけ出すことは、出来てもね」

 「何だって!?」

  心の底から腹が立った。私の友人も驚いたように彼を振り返っている。そこで私はこう

 言った。

 「…大した自信ですね、そこまで仰るなら……今すぐに出してみせて貰おうじゃありませ

 んか」
               
  マジック
 「いいでしょう。だけどこの程度の魔術なら、ね……ここの助手君でも簡単にやってみせ

 てくれるはずです。――出来るよね」

  東宮が島崎に微笑みかける。

 「……自信はないけど」

  そう言いながら、島崎は控えめな態度で一歩だけ前へと進み出た。そこで私と友人は、
     
  マジック
 信じられない魔術を次々と目の当たりにすることとなったのだ。





    **********





 「…えっとですね……まず最初に皆さんが――と言うより城野さんが――一番気に懸けて
           
ありか
 いらっしゃる黄金像の在処からお教えしたいと思います。…大丈夫ですよ、城野さん。僕

 の考え方さえ間違っていなければ、多分……貴方の大切な“マリア”は無事に戻ってくる

 はずですから。

  要点だけを言いますね。部屋は密室です。出入口の前にずっと立っていたという御手洗

 さんの証言を信用するなら、当然そこから出入りをした者もいません。いいですか? こ

 ういう事件は単純に考えれば結論は一つしかないんです。まずどんなに小さな像だったと
                             ・・・・・・・・
 しても金属像が消えるわけがない、ということは即ちその像は本物ではなかったんです」

 「え、っ……どういうこと?」

  有香が島崎を見つめる。東宮は至極機嫌が良さそうに唇の端を吊り上げて笑っていた。
            
  イミテーション
 「つまり、展示されていた像は偽物だったということです。正体までは解りませんが、恐
                      
 なに
 らく金属粉を吹き付けた極々薄いプラスチックか何かだったのではないでしょうか。掏り

 替えたのは、展示の手伝いをした時だと思われます。これは憶測なのですが、僕の導き出

 した犯人は展示を手伝ったグループの中にきっちりと存在していますから。
    
 いっとき
  そして一時とはいえ持ち主の目をごまかせる程に精巧な偽物を創ることが出来るのは事

 前に本物を見たことがあり、それを用意する機会があったと思われる人物だけです。つま

 り城野さんとその御友人の北条さんのお二人。…城野さん、貴方はあの金属像を北条さん

 に見せたことがありますか?」

 「…ええ……あの像は以前秀幸と一緒に京都へ行った時に手に入れたもので……その……
                   
 あと      うち
 ミステリーツアーの、懸賞品として。その後も彼は何度か家には来ていますから、見たこ

 とも数え切れない程あるのではないかと……」

 「――解りました。それではやはり本物を目にしたことがあるのは城野さんと北条さんの

 お二人だけ。けれどこれは城野さんの狂言では有り得ません。何故なら彼は偶然にも照明
          
 ゆか               ・・・・・・・・・・・・・・
 が消えていた時、僕が床に落とした筆記具を渡そうとしてこの手に触れていたのですから。

 そして彼が不審な動きをした気配などは、微塵もなかった」

 「そんな、島崎さん……! それでは貴方は、…秀幸が……?」

 「――信じたくはないでしょうが、そういうことだと思います。申し訳ありませんが北条

 さん、今口の中で必死に咬み潰しているガムを見せて下さいませんか?」

  呆気に取られる思いだった。何だ、そんなに単純なことだったのか? 北条が「くそっ

 !」と舌打ちを洩らし扉の外へ逃げ出そうとした刹那、機転を利かせた私の友人がその腹

 を殴り気絶させた。相変わらず、こういう時の動きは素早い。

 「ああ、それから御手洗さん。もうお気付きだと思いますが佐久間さん御夫妻も共犯です。

 もうお逃げになる気力もなさそうですが、念の為に御友人と一緒に唯一の出口を見張って

 おいて下さいね」

  島崎は続ける。今や、室内の全ての人間が彼の言動に注目していた。

 「……どういうこと?」

  有香の問いに、彼は躊躇いがちに推理を話す。

 「要するに――非常に言い辛いことなんですが、僕達は佐久間さん御夫妻と北条さんに騙

 されていたということです。このツアーの目的は懸賞品付きの推理クイズをすることが目

 的ではなく、全ては城野さんの金属像を盗むことにあった。だってこんな推理クイズ……

 特にこの第四問目ですが、これは推理で当てられるものではないように思うんですよ。一

 見しただけでも解る通り、物の価値観なんて人それぞれじゃないですか? 誰の目から見
                           
 みいだ
 ても高価だと解るものもあれば、所有者にとってしか価値が見出せなさそうなものもある。

 たった四〜五日間の付き合いだけでこれらが誰の宝であるのかを言い当てるのは、なかな

 か容易なことではありませんよ。

  それから佐久間さん御夫妻と北条さんに以前から面識があったことは、やはり疑いよう

 がないと思います。配電盤にも何らかの細工はしてあったでしょうし、今のトリックを推

 理に用いればもう御説明も不要の通り、これは“高価なものならば何を盗んでもいい”と
                                 
あいだ
 いう種類の犯罪ではないからです。事前に用意しておいた偽物を数十秒の間に展示台から

 北条さんの口の中へと隠してしまわなければならない。…もしかしたら彼は顎を強化する

 為ではなくこのトリックを自然に遂行する為に――常にガムを咬んで僕達にそれを印象付

 けていたのかも知れませんね」
     
くや
 「…――口惜しいわ、あと少しだったのに……!」
                             
  しゅじん
  低く呻くような声でその場に蹲ったのは佐久間夫人の方である。主人は力もなく背中を

 壁に押し付けて、突然目の前に現れた賢者の顔をただただ茫然と眺めていた。私と友人同

 様、城野を始めとする招待客達などは声も出ない。

  唖然と立ち尽くすのみとなった聴衆の中で、あははと高らかに笑い始めたのは東宮千尋

 だった。何故ここで彼が笑うんだ? この男は、やはり頭がおかしい。

  そう思っていたら、彼は一歩前に進み出ていた島崎に後ろから思い切り抱き付いたので

 ある。喜色に充ちた声色が言った。

 「ねぇ、君、今の僕がどんなに誇らしい気分でいるか解るかい? こんなに素晴らしい魔

 術は本当に久し振りだよ! あっははははは!」
               
            しか
  島崎は瞬間驚いていたが暫しの間を置くと煩わしげに顔を顰め、ああ、そうかいと無愛

 想に答える。東宮は整髪料で整えた前髪を無造作に右手で掻き乱すと、何を思ったか褐色
 
 いろつきグラス 
 の色付眼鏡を外し始めた。

  そして島崎の肩を抱きながら陽気な口調で続ける。

 「ああ、本当にこのツアーに参加して良かったなぁ、こんなに面白いものが見られるなん

 てね! 君さえ厭がらなければキスしたいぐらいだ!」

 「冗談じゃない」
                                      
みんな
 「さあ、そんな鬱陶しい眼鏡なんてもう外してしまいたまえ。そして君の本当の姿を皆に

 見せてあげなよ! それから――

  そこの御手洗さん、石岡さん、あなた方は一体何者なんです? 宜しければそろそろ正

 体を明かして下さいませんかねぇ」











    ]T



 「ええっ!? そんな、まさか……! ではあなた方は、……本物の……?」

  珍しく友人が悲鳴のような声を上げる。――まさか、ではない。私にはもう全てが解っ

 てしまった。

  どこかで見たことがあると気に懸かっていた島崎郁生の正体が著者近影の写真で知って

 いる石岡和己なのだから――当然彼の隣にいる“どこかおかしな背の高い男”の正体は御

 手洗潔本人に決まっているだろう。

 「では皆さん、改めて自己紹介致しましょう。僕の名前は御手洗潔、そして職業は世界の
          
 マジシャン
 謎を鮮やかに消し去る魔術師! こちらがお馴染み、有能な助手の石岡和己君です」

  ――ああ、何ということだろう。私達は本物の眼前で、滑稽にも偽物を演じ続けていた

 のだ。魔術が使えるものならば、今すぐにこの場から消え失せてしまいたい。だから友人

 にも言ったのだ、名探偵の真似事などはやめた方が良いと。

  ……いや、見苦しい言い訳はやめよう。私も立派に同罪だ。彼と同様、私も憧れの石岡

 和己を名乗りそのことを楽しんでいた。しかしこんなことを繰り返していればいつかはバ
             
とき
 レるに決まっている。その時期が今だった。それだけの話だ。
                            
わけ
  そして同時に“島崎があまり積極的に言葉を発さずにいた理由”も解った。本物の御手

 洗よりも芝居に自信がなかったから、それならばと敢えて口を噤んでいることにしたのだ。

 初日の夜に「ちくしょう、いつか刺してやる」と言った彼の心情も、私にだけは見当が付

 いた。あの時、きっと彼はまた部屋の中で何事か揶揄われでもしたのだろう。つまりあれ

 はやはり東宮――いや、御手洗に対して発した言葉だったのだ。ああした行動の経験なら
                                   
  マジック
 ば、私にも身に憶えが深くある(ちなみに後で訊いた話、あの日石岡が御手洗の魔術の後

 始末――食堂のテーブル周辺の掃除――を終えて部屋へ戻ってみたら当人はさっさと一人
                            
 のち
 でシャワーを使った挙句に上機嫌で洋酒を呷り、彼を揶揄った後により大きなベッドで眠

 り込んでしまったのだそうだ。忘れ物というのは単なる私への方便で、本当は外へ気分直

 しに出ていたらしい。…諄いようだが、彼の苦労は見ずとも解る)。
         
  つだ まさし                          
 「本当の僕の名前は津田匡史、そして僕に付き合って石岡さんの振りをしていた友人は都
 づきかずや 
 築一哉といいます。実はこんなことも、今回が初めてではなくて……」
      
 なん
 「ほう、一体何の為にです?」

 「それは一言で言ってしまえば……あなた方のファンだからですよ。でもこれだけは誓っ

 て言いますが、悪意なんて全くありませんでした。僕達はいつだって、あなた方の名前を

 名乗っている時は“困っている人達を助ける為に”謎解きをしていたんです」

 「ふん、…しかし自分の名前で謎を解いても人は救えるんじゃないのかな?」

 「僕達は探偵でも刑事でもありません。大抵は事件に関わる前から事件関係者や権力者に
               
 はた
 介入を拒まれてしまうんですよ。傍で見ているだけでも簡単に判明している事実はあるの

 に! 世間は肩書きで人を判断するんです。御手洗さんにも、そういう経験はおありにな

 るんでしょう?」

 「…ああ……」

  御手洗が顎に手を当て天井を仰いでいると、石岡がぼそりと呟いた。

 「――君のインチキ名刺と同じようなものだ、御手洗君」
             
 つがわくん
 「…うーん……でもね、君、津川君だっけ?」

 「津田です」
   
とだ くん
 「…戸田君、それは出来れば僕の名前なんかは騙らない方がいいねぇ……君の推理力は君

 のものだ、せっかくこの世に生を受けたってのに、自分にしか出来ないことをしなけりゃ

 君の人生が勿体無いじゃないか! そこの君も、石岡君の真似なんかしていてもろくな扱

 いは受けないよ?」

 「…君がそういうことを言うからだろ」

  二人の前で頭を下げていた匡史の隣に、私も静々と並び立った。心をこめて謝罪する。

 「本当にすみませんでした、御手洗さん、石岡さん、……皆さんも。でも彼は確かに本の

 中に書かれているようなおかしな言行を見せていたかも知れないけれど、あれはほとんど

 が演技ではなく彼自身の性格なんですよ、だから……あッ!」

  言ってしまってから気が付いた。今の言い方では、友人だけではなく御手洗自身に対し

 ても失礼な発言をしてしまったことになる。

 「…あぁ……君もどことなく石岡君に似ているね……」

  私が自らの失言に改めて頭を下げる直前、石岡が御手洗の背を右手で殴り付けているの
       
 のち
 が見えた。だが後に彼はその視線を私に向け、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

 「本当に、ごめんなさい……」

  もう一度呟くように言うと、彼は写真で見るよりも若く誠実そうな顔を見せ、ううん、

 別に構わないんだけどねと苦笑した。そして、私にだけ聞こえる小声でこう続ける。

 「……でももし今君が言ったことが本当なら……友達は、慎重に選んだ方がいいよ。…疲

 れるからね」

 「…――――」

  図々しい話だけれど、やはりこの人はどこか自分に似ているような気がする。私達は互
                   
 
 いの相棒を何気に振り返り同時に溜め息を吐くとその顔を突き合わせ、くすくすと声を出

 して、笑った。










*** Back  Top  Next ***