W


  よくあさ                              
  翌朝。一通りの朝食を終えた私達は佐久間夫妻の指示を待ち、居心地の好い談話室で思
             
 ドア
 い思いに寛いでいた。北条は扉の近くの壁に背を預けたまま相変わらずガムを咬み、東宮

 と島崎は少し離れたところに置かれたテーブルでアルファベットの小さなブロックを並べ

 ながら談笑している。あれも魔術に使うものなのだろうか? 
  
さくや
  昨夜の島崎の科白から二人の関係を気に懸けていた私だったが、今朝は比較的仲が良さ

 そうに見えたのでとりあえず安心した。「ああ……シマイでも良かったな、こっちはこん

 な感じになるけど」「あ、本当だ。でもやっぱり僕はこっちの方が使い易い。無駄なく収
        
 
 まってるしねぇ、郁っちゃん」「馴々しい呼び方するなよ」――…いや、仲が良いと言い

 切れるかどうかは怪しいところだが。それなりに会話は弾んでいるようだ。

  富士見温子は佐久間夫人に宝石の収集品を見せて貰う為席を外しており、残りの招待客
                      
トレーニング
 は、誰とはなしに出題し始めた推理クイズで頭の運動を続ける。“自殺を偽造する為に自

 分の指紋を残さぬよう手袋を嵌めた犯人が被害者のワープロで遺書を作成したがその不自

 然さが徒となり犯罪が露見した話”や“突然妻が失踪した山荘に一人残された夫が翌日か

 ら毎日庭で薪割りをし始め、肉など手に入れた形跡はないのに何故か街へ降りてきては肉

 用のソースばかりを購入し帰ってゆく”などという、お馴染みのアレだ。

  特に有香と藤原がこの手のゲームを好んでいる風で、やがて藤原がこんな問題を口にし

 た。

 「多分知っているとは思うけど、ここで毒殺トリックの話を一つ。

  問題内容自体は物凄く単純なものなんだけれどね、仲の悪い弟を毒殺しようと画策した

 内科医の兄が、彼の自宅へ訪問し極上のワインを振る舞うと言い出したんだ。しかし勿論

 仲の悪い兄弟のこと、弟もそう簡単には兄のことを信用しない。でも兄が土産とし持って

 きたワインはまだ未開封のものだった為、弟は自分がコルクを抜けば安心と思い結局その

 ワインを呑んだんだ。けれど結局、彼は毒を呷って死亡してしまった。さて、兄は一体ど

 うやって弟を殺害したと思う?」

 「その問題、お兄さんの方は? 一緒のワインを呑みましたか?」

  城野が訊ねる。藤原は穏やかな微笑を浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。

 「いや、呑んだフリをしただけだと思うね。あ、それからもう一つ。毒はワインの中に入
                    
 キッチン
 っていた。グラスは弟が信用の出来るものを厨房から運んできたからね、それに毒を塗っ

 ておいたということはないよ」

 「ん〜!? ワインでしょー? 入ってたのは当然瓶にってことですよねぇー?」

 「それは勿論。だってコルクを抜いたんだから」

 「そうよねぇー。…でもちょっと待って、そのワインどうして未開封だって解ったの?」

 「封印のシールが剥がされていなかったから」

 「え〜? それって器用な人だったら一回剥がしてから元に戻せない? ねえ、城野さん」

 「いや、有香ちゃん、これはそういう次元の問題じゃないと思うよ……――うーん、僕は

 降参します。…御手洗さん、石岡さん、このトリック、お解りになりますか?」

  横のソファに坐っていた城野に声をかけられ、私は友人を振り返った。…妙に大人しい
                               
 いびき
 と思ったら…――この男は。いつの間にか顔の上に雑誌を乗せ、軽く鼾をかきながら大型

 のソファで眠り込んでいる。
                       
 みな
  私は友人の非礼を我がことのように恥じながら、皆に向かって頭を下げた。

 「すみません、彼はこの通りですし僕はそのクイズの答えを知っているので……有香ちゃ

 んと綾乃ちゃんが降参したら、お答えしますよ」

 「――おや、流石ですね」

  藤原に挑発的な笑みを向けられていることにも気が付かず、私は談話室の扉向こうから

 近付いてきた足音に意図せず耳を傾ける。佐久間夫妻と温子が三階から降りてきたらしい。
      
くや
 「あーん、口惜しい、解んない! 石岡先生、答え教えて〜!」

 「私も降参します〜。お兄さんの知り合いにワインを作った人がいるとか、そういう解答

 じゃあ駄目なんでしょう〜?」

 「成程、面白い解答だね。でもそれだとこの兄の職業が医者だと設定されている意味がな

 くなるから、多分出題者の言う正解にはならないんだと思うよ。…さあ、どうぞ、石岡さ

 ん。正解を御存じなんでしょう?」

 「はい……」
 
  私は近付く足音とワゴンのもののようなキャスターの音に気を取られながらゆっくりと

 口を開く。

 「まあ物凄く簡単に言ってしまえば、コルクの上から注射器を使って中に毒を注入した。

 そんな話だったと思います。それだとシールを剥がす必要なんてないし、コルクに少しぐ

 らい穴が空いていたって、見た目にはほとんど解らないでしょうからね」

 「ああ、そっか!」

 「お見事ですね、正解ですよ。流石は名探偵さんの御友人だ」

 「いや、僕はたまたまこの話を知っていただけで……これは別に褒められるようなことじ

 ゃありませんよ」
  はな         ドア ひら            だんじょ
  話していると談話室の扉が開き、銀製のワゴンと三人の男女がその姿を現した。「素敵

 なコレクションだったわ」と温子が藤原に言い、夫人が「まあ、危険なゲームをしていら

 っしゃったんですのね。今ワインの毒殺トリックのお話が聞こえましたけど――こちらも

 早く企画を進行しなければ、出題する問題がなくなってしまいますわ」とトパーズの指輪

 を見せながら苦笑する。斯くして――

  聖美館のミステリーツアーは、ようやくゆっくりとその幕を上げ始めたのであった。











    X



  まるでダイヤモンドででもあるかのような眩しい耀きを放つクリスタル製のワイングラ

 スが二脚、銀製のワゴンの上に並べ置かれている。対として創作されたことが誰の目にも
                    
 あお   あか
 明らかであるグラスの縁には、それぞれ海の蒼と炎の紅を品良くデザインしてあった。小

 市民的発想だが、買えばいくらぐらいするのだろう。

  解答権はワン・ペアにつき一度きり。口に出した言葉は取り下げることが出来ず、制限
                             
プライド
 時間を十分間と決められた。出題者は懸賞品を賭け、解答者は自尊心を賭ける。私にとっ
                                       
ゆうべ
 ては気の抜けない時間となった。周囲もそれなりに緊張している様子である。表面上昨夜

 と態度が変わらぬのは北条と東宮、そして御手洗の三人だけだった。

  まずは夫人が問題を読み上げる。

 「これは先程談話室でしていらっしゃったお話と少し設定が似ておりますの。簡単に答え

 られてしまうかも知れませんわね。正解が解ったと思われる方は、発言される前に“答え

 る”という意思表示をして下さい。それでは――まず一問目。
                                    
 けっ
  あるところに大変仲の悪い姉妹がいました。そういう事情からいつもは警戒し決してお

 互いの出した飲食物には口を付けないようにしていたのですが、姉にはどうしても妹を毒

 殺する必要がありました。

  そこで姉はとても珍しいワインを妹に振る舞うことにした――その妹は非常にワインと

 いうものが好きだったそうなので――それならば興味を持つかと考えたのね。また妹の方

 も、そのワインを一目見た瞬間に怪しいものでなければ呑んでみたいと思ったの。
              
 あと
  姉はワインの瓶を軽く振った後、一度開封したと思われるコルクの栓を抜き、妹の見て
               
 そそ
 
 いる前で二つのグラスにワインを注ぎ入れました。そして妹は自らの意志でグラスを選び、
                           
 から
 姉が確実に呑み始めたことを見届けてから、自分のグラスを空にした。けれど結局、妹は

 毒を呑んで死んでしまったというわけです。

  さて、姉は妹にどうやって毒を呑ませたのでしょう? 一つ付け加えておくと、姉は事

 前に解毒剤を服用していたわけではありません」

 「――――」

  口頭で言われると結構解らなくなるものだ、頭の中が一瞬真っ白になり、続いて紅いワ
   
 そそ
 インの注がれたグラスの映像のみが目の前にちらつき始めた。隣に腰を掛けている御手洗

 の顔を見ると、大して興味もなさそうに腕を組んだまま周囲をぼんやりと眺めている。
 
 みんな パートナー
  皆暫く相棒と小声で相談しながら首を傾げていたが、有香が観念したように口を開いた。

 「毒入りの氷を作っておいて自分は氷が溶け出す前に素早く毒味する、っていうのがある

 けど、ワインに氷なんて……入れませんよねぇ……――…あー、駄目! 降参!!」
     
くや
  続いて口惜しそうに、藤原の言が続く。

 「毒を沈殿させる方法があるのならば話は別だが……いや、それでは駄目だな、姉は御丁

 寧に瓶の中身を混ぜるパフォーマンスまでしている――こうなったらグラスに毒を塗った

 と考える他はないが……」

 「妹がグラスを自ら選んでいるのでその解答もマズイというわけ、ね……若典」

 「そういうことだ。……今回は譲ります」

  そして最後に、首を傾げながら城野が言った。

 「珍しいワイン、と仰ったことが少し気に懸かってはいるのですが、それが解らない以上

 は……駄目ですね、僕達二人も降参します」

 「あらあら、皆さんとても近いところまできていらっしゃるのに、残念ですわね」

  夫人は苦く笑みを零し、私は友人と魔術師組とを見比べた。御手洗にこの程度の謎かけ

 が解らないはずもない。答えないのかと目で問うと、薄い唇をすっと開いた。

 「東宮さん、島崎さん、答えても宜しいんでしょうか」

 「…――――」

  ここでようやく私はああ、そうだったのかと納得する。要するに御手洗は既に解答を持

 っていたが、周囲のチャンスを消さぬ為に敢えて発言を控えていたのだ。

  東宮は右掌をこちらに向け、魔術師特有の優雅な手付きで一言「どうぞ」と呟いた。そ

 こで御手洗は自分の考えを披露する。

 「城野さんが仰った通り、このトリックは“珍しいワイン”さえ知っていれば解けます。

 恐らくそれは二層か三層のワインだったのでしょう。皆さん御存じではないようなので仮

 に二層ワインだったとして簡単に御説明しますが、まず想像上のグラスに紅い色をしたワ
   
 そそ                    
 インを注ぎ、更にその上から白い色をしたワインを注ぎ足してみて下さい。普通ならば混

 ざってしまうところなんですが、この殺人の主役を務めるワインは少し特殊なものですの

 でね、まるでゼリーの上にゼリーを乗せたかのように見事に分離してくれるのですよ。見

 た目も非常に美しい品ですので、まぁ目の前に置かれれば大抵の人は呑んでみたいと思う

 んじゃないでしょうか」

 「そんな不思議なものがあるの!?」

  有香が心底驚いたように声を上げた。念の為に付記しておくが、このミステリーツアー

 は一九九〇年に施行されたものである。今でこそバスオイルなどで読者の皆さんも目にし

 たことがあるだろうが、当時はこんな話も比較的珍しかった。
           
いっときうすべにいろ
 「勿論シャッフルすれば一時薄紅色に混ざりますが、時間が経過すればまたすぐ二つに分

 離します。液体の重度の違いがそういう現象を起こすのですが、ここではそんな小難しい

 話も不要でしょう。

  で、結局――毒は最下層に入れてあったということなんでしょうね。お姉さんの方は毒

 の入っていない上の層だけを巧みに毒味して見せて、妹さんにワインを勧めた」

 「――流石ですわね、御手洗さん。完璧な解答です」

 「でもこれは、現実問題としてやはり自分が呑む時二〜三層目に唇が触れるリスクもあり

 ますし……まあ毒の種類や致死量の問題なんかもあるんでしょうが、少なくとも最下層に

 毒を混入させようとするならこのワインはお姉さん御自身のオリジナルブレンドである必

 要があると思うんですよ。でもクイズの解答としては、ね……こんなところなんでしょう」

  嫉妬と尊敬の視線を一身に集めながら、友人は私に向かいにっこりと微笑みかける。こ

 うして――
                                       
 なな
  一日目の推理クイズの勝者は我々と決定し、分不相応なワイングラスは御手洗曰く『斜
  
やしき はんざい
 め屋敷の犯罪』の“天狗の間”を思い出させるのだという仮面の間へと運ばれたのであっ

 た。











    Y




  不穏な事件も特別起こらず、三日目の朝も佐久間夫妻による推理クイズは施行された。

 第二回目の賞品はそれぞれに黒薔薇、白薔薇という名の付けられた小型のデザインナイフ
       
                        ゆうべ
 である。成程、柄の部分には華やかな薔薇の細工が施され、こちらも昨夜のワイングラス

 に劣らぬ至高の逸品だった。

  しかし結論から言ってしまえば、この目の眩むような芸術品も私達二人のものとなって

 しまう。
                         
 いえ
 「嵐の日、金に困っていたある男が一人暮らしの女性の家へ強盗に入った。男が簡単に部
   
  
 屋へと押し入り背後から近付いた時、彼女はデスクに向かって読書をしていたのだと想像

 して下さい。しかし当然不審人物の侵入に気付いた女性は、男と暫し格闘になります。そ

 してその時、デスクの周辺がかなり雑然と乱れた。

  けれど必死の抵抗も虚しく、彼女は男に殺害されてしまいます。男は自分がこれから友

 人を利用し作ろうと思っているアリバイの時刻通りに日付、時刻設定をした置時計を机の

 角にぶつけて壊し、夜中の犯行であったことを印象付ける為に傍にあった電気スタンドの

 電源を入れてから逃亡しました。つまり――実際の犯行時刻は朝か昼だったということな

 んでしょうな。

  しかしこの現場を訪れた刑事達はデスクの影に落ちていた本を見て、殺人時刻が偽造さ

 れている可能性をあっさり見破ってしまったんです。さて、この犯人がどのような失敗を

 犯したのか――答えられる方、いらっしゃいませんか?」

  佐久間脩の出題した問題は以上のようなものだったのだが、やはり正解者が出なかった

 のである。

  藤原が

 「そのデスクの周辺に植物がありませんでしたか? 昼間咲いている状態だったところへ
          
 なに
 乱闘により飛ばされた何かが入り込んでいた為、犯行時刻が夜ではないことが解ってしま

 ったとか……」

  という――なかなか悪くはない考えだが問題の中に全く記述のないことを言ってしまっ

 たり

 「本の頁にダイイングメッセージがあったのかな?」

 「嵐の日、と初めに断わっていることが引っ掛かりますが、答えが解りません」

  という有香と城野による不正解が続き、挙句魔術師組も匙を投げる恰好となった為、ま

 たしても御手洗に解答権が回ってきたというわけだ。

 「その本は点字の本だったんでしょう、彼女は盲目の女性だった。だから夜だからといっ

 て特別電気スタンドを必要とはしなかったんです。嵐の日という見苦しい注釈を入れてい

 るのは“盲人ならば聴覚が発達しているから男が侵入する気配にもっと早く気付くだろう”

 という細かい指摘に対抗する為の言い訳なんじゃないかなぁ」

  この発言が出た時点で、ゲームは終了。

  藤原、温子、有香の要望に応えて直後に第三回戦も行なわれたが、賞品の愛らしいアン

 ティークドールは勿体無くも中年男二人の所有物となってしまった。

  参考までに、友人が即答した第三問目の問題と解答を下記しておこうと思う。



  友人を殺害しようと計画した男が、扉の一つしかない小屋の中で一匹の猿を飼っていた。

 その猿は鉄の檻に入れられ、殺人の為に調教されていたらしい。
                          
ピストル
  男は扉から入ってきた人間に対し、檻に固定しておいた銃を一度だけ発射するように教

 え込んだ。やがて男が扉を開けると、猿は百パーセントの確率で空砲を発射するまでに成

 長した。

  そして犯行当日。朝の九時に友人と小屋で落ち合うよう約束を取り付けた男は、自らの
            
 あと
 アリバイを一日分用意した後、彼の死を確認する為に夜の八時頃電話をかけた。すると驚

 くべきことに友人は死んでおらず、逆に約束反故を注意されてしまったのだ。念の為に小

 屋の様子を訊くと、当の猿は友人に見向きもせず檻の中で大人しく遊んでいたのだと言う。

  しかしあんな怪しげなものを見せてしまった以上、もうこの計画を遂行するわけにはい

 かない。憤慨した短気な男は猿を叱り付けようと小屋へ向かい、いつもの調子で扉を開け

 た。すると――
                               
 ピストル
  一体どうしたことか、猿は飼い主の心臓に向かって実弾の込められた銃を発射したので

 ある。何故友人に対して向けられなかった弾丸が、男の胸を貫いたのか――?



  このクイズは非常に単純明快ではあったが、臆病者の私の心を心底震え上がらせるには

 充分過ぎる程恐ろしい解答を持っていた。御手洗の出した結論はこうだ。

 「つまり猿は“小屋に入ってきた人間を撃つ”のではなく“小屋に入ってきた飼い主を撃

 つ”という芸を完璧に身に付けていたわけだね。いやぁ、この話はなかなかに人生の風刺

 を含んでいるよ。恐ろしくも興味深い題材だね」
                                
 なに
  ちなみにこの問題に関しては温子が「友人が弾丸を反射させるような何かを持っていた

 のかしら」という言いたいことは解るがやはり“一度だけ発射する”という条件を無視し

 てしまった意見を口走り、城野が

 「一発目を空砲にし二発目に誤って弾丸を込めてしまったとか……?」、そして有香が
  こうさーん 
 「降参!!」と言った直後に綾乃が「飼い主さんがお猿さんに嫌われていたのかしらね〜?」

 と彼等らしい発言を聞かせてくれた。

  それにしてもやはり不思議なのは東宮と島崎、そして北条の三人である。単に美術品に

 興味がないのだろうか? ……いや、それ以前に謎解き自体に全く興味を示していないよ
             
パートナー
 うな気さえする。私のように相棒が優秀だから発言する必要がないというわけでもない。
                                      ・・・
  彼等は一体何を考えているのか? このミステリーツアーに参加していることにどのよ
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 うな意味を持っているというのか――?











    Z



 「いやあ、彼等の目的までは流石の僕にも解らないよ。――今のところはね」
                                    
  だんじょ
  三日目の夜十時。クリスタル製のワイングラスと小型のデザインナイフ、そして男女二

 対のアンティークドールの乗ったワゴンを据えた仮面の間にて、友人はぼんやりそう言っ

 た。彼が身体を横たえている寝台の脇に腰を下ろし、私も独り言のように呟く。

 「目的……目的、かぁ。…まぁ、ねぇ……今の僕達がしていることだって立派に訳の解ら

 ないことの部類に入るんだろうしねぇ……」

 「そうかい?」

 「そうだよ。君だってこの美術品、僕達二人には相応しくない代物だと思うだろ?」
                      
 ほうもつ
 「……そういうところが君の長所だ。これだけの宝物を目の前にして、なかなか言える科

 白じゃないよ」

 「いや、そんな……正面切って言われると照れるけど……」

  私が頬を真横に逸らすと、彼は勢い良く寝台から飛び降りる。素早く私の前へ回り込み、

 じっとその顔を見つめて言った。

 「――うーん、でも変だよね、やっぱり!」

 「…な、何が……?」

  私は狼狽する。変とは何だ? 自分のことを言っているのならば私もその意見には賛同

 するが。
                      
  イミテーション
 「おかしなことばっかりだ。ここにある懸賞品は全て偽物などではなく、招待状で集まっ

 たのがこのメンバー…――しかもミステリーツアーだって……?」

 「君、ねえ、どうしたの……?」
  
 なに
 「…何かあるよ、絶対。このままで終わるはずがない。――そろそろ、覚悟はしておいた

 方がいいと思うがね」

  そしてくるりと身を翻すと充分“おかしな人間”として通用する数年来の同居人が、窓

 の外を眺めながら呟いたのだった。











    [



  果たして、事件は起こったのである。
           
  ディナー
  翌日八月六日も更けた、晩餐が終わった夜のこと。

 “今日は少し変わった趣向のゲームを行なうので期待していて欲しい”と告げられ何もな
                          
えみ
 い特別室へと一同が足を踏み入れた途端、夫人が柔和な微笑を浮かべて突然こんなことを

 言い出したのだ。

 「招待状を御送付させていただいた時にもお伝えしておいた通り、皆さんこの聖美館に
                                   
 わたくし
 “それぞれが最も大切にされている宝”をお持ち下さっているはずです。勿論、私と主人

 も用意しておりますけれど……」

  室内にいた総勢十人の招待客は、ああ、そうだったと思い出したかのように頷いた。ち

 なみに私は出発時からこっち、ずうっとこのことが気に懸かっていたのである。友人の持

 ってきた“宝”が非常に大きなものだった為、厭でも視界に入らない日がなかったのだ。

 “誰にも内容を話さず”と招待状には書かれていたが、彼の持ってきたものの見当ならば

 とっくの昔に付いている。
                                    
  じゅうにひん
 “本日の推理クイズの問題”がこれだった。即ち――これからこの室内に展示する十二品

 の宝が誰の持ち物であるのかを推理で当てろということだ。

  当然それぞれ自分の持ち物が解らぬ人間などいないだろうし、相棒の持ち物になら、あ
                     
 じゅうにひんちゅうじゅっぴん
 る程度の心当たりもあるだろう。しかしそれでも十二品中十品は確実に謎に包まれている

 わけで、確かに発想としては面白い余興と言えなくもない。

  品物を展示室へ運ぶ作業は、佐久間夫妻が用意した大型のワゴンによって行なわれた。

 このワゴンは特別に創られた品であるらしく、材質こそは単なる木材だが、なかなか考え

 た構造になっている。ワゴンは同じものが三台あった。形は把手とキャスターの付いたロ

 ッカーを想像して貰えば間違いないと思う。ワゴン一台につき部屋は八室ずつに分かれて

 いた。つまり全部で二十四室あるという計算になる。
                        
わたくしたち     にじゅうにひん
 「万が一招待状通りにお客様がいらっしゃれば、宝は私達のものを含め二十二品揃うこと
             
  じゅうにひん
 になりますから。…でも結局は十二品しかお預かりしませんし、ワゴンは二台もあれば充

 分ですわね」

  私達は時間をずらして順番に個室へと向かい、用意されていた二台のワゴンの中へと自
                                 
 みな
 分の宝を収めていった。成程、このロッカーには鍵付きの扉があるから、皆が思い思いの

 場所を選んで品物を収めてゆけば持ち主は誰にも解らなくなるはずだ。そして最後にアイ・

 マスクをした東宮に全員がナンバー入りの鍵を渡し、箱の中で完璧に混ぜ合わせて貰う。
   
  じゅうにひん
 こうして十二品の宝を封印した宝箱は、見事に二つ完成した。
                
 みな
  さて、ここから先が問題である。皆の見ている前で特別室まで運ばれた二台のワゴン、

 その中身を信用の置ける者が室内の大型テーブルへ展示しなければならない。その役目を

 仰せ遣ったのが御手洗と北条、藤原と有香の四人だった。

  ではこの時点で、セッティングを終え全員が揃った展示室に飾られていた宝を列記して

 おくことにする。


                 
  ティアラ
 ・大型エメラルドが中心に埋め込まれた王冠

 ・有名ミステリー作家のサイン色紙

 ・アコースティックギター『ギブソンJ−200』

 ・ブルーダイヤのデザインネックレス
                      
ぬいぐるみ
 ・可愛いとは言い難いが愛嬌のある顔をした狸の人形

 ・石岡和己著作本『占星術殺人事件』

 ・スイス製の機械式懐中時計

 ・レコード『THE INCREDIBLE JAZZ GUITAR OF WES MONT-GOMERY』

 ・聖母を象った黄金像

 ・歴史的有名画家の風景画

 ・薄汚れたボクシンググラブ


                                   
 ほうもつ
  やはり一口に宝とは言っても十人十色なのだな、と私は思った。文字通りの宝物――つ

 まり見るからに高価そうな稀少品を持ってきた者もいれば、私のように一般的な意味での
    
みいだ
 価値は見出せずとも個人にとってはかけがえのない品を持ってきたらしい者もいる。
         
  だんじょ
  招待主を除く十名の男女は推理クイズの解答シートを片手に展示品を据えた三つのテー
             
  ティアラ
 ブルを静かに取り囲んでいた。王冠や懐中時計、ネックレスや黄金像といったものの周囲

 により多くの人々の関心が集まっているのは、まぁ致し方ないといったところか。

  ただ一つ、テーブルではなく大型のイーゼルに立て掛けられていた精密画に見入ってい
               
 ゆか
 た島崎が手の中の筆記具を冷たい床の上へ落下させた。無機質な微音に振り返り私が駆け
              
 ゆか
 寄ろうかと思った刹那、城野が床へと屈み込む。

 「島崎さん、落としましたよ」

 「…あぁ、気付かなかった……すみません」

 「その絵に興味がおありのようですね、部屋に入ってからずっと眺めていらっしゃる…―

 ―本当は僕と秀幸の使わせていただいている絵画の間へは、あなた方がお泊りになった方

 が良かったのかも知れませんね」
                     
そばだ
  私の立っている位置から、二人の会話に耳を欹てている東宮の様子が窺えた。

 「はい、どうぞ」

 「ありがとうございます、…――」

  島崎が長い前髪を揺らしながら頭を下げ、城野の白い指先からメタリックボディーの筆

 記具を受け取ろうとする。と――その、瞬間。

  突然室内を照らし続けていた全ての照明が、消えた。

 「…――――!?」

 「なっ、何だ!? どういうことなんだ、これは!」
                   
わたし
 「キャーッ、ちょっと、どういうことよ、私のネックレス! 誰が何をしたのッ!?」
     
  だんじょ
  暗闇の中で男女の悲鳴が響き渡る。今の声は藤原と温子か?

  暫くして、何事もなかったように室内が光を取り戻した。そして言うまでもないことだ
    
 みな
 ろうが、皆は視線だけで自らの宝の無事を確認し始める。

 「…――ああっ!? そんな……何故彼女が……!」
               
 ゆか
  ただ一人、絶望的な悲鳴と共に床へと崩れ落ちたのは城野真彦だった。

  聖母を象った黄金像が、展示台の上から消えている。





    **********





 「マリア……!」
           
くずお         のち
  悲痛な声を上げ力無く頽れた城野を一瞥した後、私の友人が天井を仰いで言った。

 「やはり事件は起こった……か。成程、盗難事件ねぇ…――電気が消えていた時間は凡そ

 数十秒、といったところかな、石岡君?」

 「……うん……」

  そうだ、確かに電気が消えていた時間は驚く程に短かった。人間の数も足りている。な

 のに品物だけがまるで煙のように姿を消してしまったのだ。

  そして私は各自で展示内容から記録する形式となっている解答シートと実際の展示品と
                                  ・・・・
 を見比べ「えっ?」と声を上げた。何故気付かなかったのだろう、品名は十一項目しか並

 んでいないではないか。しかしここに記述されていないものを私は見た記憶がないのだ。
                        
  ほうもつ ・・・・・・・・
 と、いうことはつまり――たった今の停電前から、既に宝物は一つ足りなかった計算にな

 る。

 「ねぇ君、これはどういう…」

 「うるさい石岡君、そんなのは今頃気付くことじゃないだろう。しかし……この事態はど

 うしたことだろう、犯人は一体何を考えている……? 僕はこんなことも予測していたか
     
 ドア
 らこうして扉の前に立っていた、当然ここから出入りした者は誰一人としていなかったは
                              
 ゆか
 ずだ。――御主人、この部屋には窓がありませんが、まさか天井や床、壁のどこかに隠し

 扉があるなんてことはないでしょうね?」

 「ええ、勿論。そんなものは何一つとしてありませんよ」

  佐久間脩が蒼褪めた顔色でそう答えた。緊張に身体を硬くする藤原、ネックレスから片
                    
 ゆか
 時も視線を外さず胸元を押さえている温子、床に座り込んだまま放心している城野、その

 傍で筆記具を片手に佇んでいる島崎、相変わらず壁に凭れてガムを咬んでいるだけの北条、

 停電の頃から互いの手を握り合ったままらしい有香と綾乃、そして部屋の片隅に無言で並

 び立っている東宮と佐久間夫妻――もしこれが密室で起こった事件なら、犯人はこの中に

 存在するということになる。

  扉の前に立っている名探偵が呟いた。

 「犯人さん、もしこの中にいるのなら自ら名乗り出て下さいませんかねぇ。そうでなけれ

 ば――お互い身体検査という少々面倒なことをしなくてはならなくなってしまうんですが」
                                  
     だん
  しかし当然と言うべきか自白をするものは一人として現れず、結局数分後に、私達は男
 じょ 
 女二組に分かれて身体検査をする羽目となったのだった。











    \


                                       
 ほう
  部屋は密室。当然人員の増減もない。けれどどんなに入念な身体検査をしても二つの宝
 もつ 
 物はその姿を現さなかった。

  私にだからこそ、という表現がこの場合には適しているのだろうが、今回の事態には流
                     
 みな
 石の名探偵も心底困り果てているのが解った。皆が彼に何を期待しているのかを知ってい

 るだけに、私も身を切られる想いがする。

 「これだけははっきりさせておきたいので訊ねますが……」

 「――――」

  彼は今“これだけは”という言葉を選んだ。つまりそれは“全てを解き明かせる自信が

 ない”という意味だ。ああ、何ということだろう! こんなところで彼の口から敗北宣言

 を聞く羽目になるとは思わなかった。

 「……残念ながら黄金像が煙のように消えてしまったこの盗難事件に関してはお手上げで

 す。きっとここにいる誰かが巧みに隠しているのだろうと思いますが、身体検査をしても

 出てこない以上適当な当たりを付けて“君が犯人だ”とやるわけにもいきません。しかし

 ……
                     ・・・・・・・・・・・・・・・・
  僕が何よりも疑問に思うのは停電の前から明らかに一つ展示品が不足していたというこ
                                     
いま
 となんです。城野さんを除く皆さんにお訊きしますが、“御自分の宝”は本当に現在もこ

 の部屋にあるんでしょうか?」

  彼は快活さを失った声色でそう訊ねたが、城野青年以外の者は全員“自分の大切な宝は
                                   
 みな
 確かに室内にある”のだと言い張った。私になど到底解ける謎ではないが……皆が集団で

 私達二人を騙しているわけでなければ、私の友人の解けない謎が少なくとも二つはここに

 存在しているということになる。
  
くや
  口惜しかった。私がもう少し優秀な助手ならば、彼に何らかの意見を囁くことも出来る

 のだが。
                       
  だんせい
  衆人環視の中で項垂れる探偵役の姿を見つめ、低い男声がくすりと微苦笑を洩らすのが

 聞こえた――。











    <ストップ・モーション>


             
しまだそうじ し
     シリーズ原作者・島田荘司氏の作品を一作でも読まれたことのある読

    者様には、今回の事件はあまりにも易し過ぎたかと思いますが、筆者の

    下らないお遊びに付き合ってあげても良いかという寛大な方も、読者様

    のうちにお一人ぐらいはいらっしゃることでしょう。そんな方にだけ、

    当方は無謀にもここで次の言葉を捧げたいと思います。



    「私は読者様に挑戦する」


                   
 みな        ありか
     これで材料は全て示されました。皆の目に見えぬ宝の在処を、どうか

    解明されませんことを!
                                
ふじみや みう
                                藤宮美桜










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