EXTRA STAGE 010-1 / TYPE-S

in My Dream
イン マイ ドリーム







  独りで過ごすこの現実が、寂しくて、寂しくて。

  僕は、彼の夢を見る。


       
 いしおかくん                   
  あ
  ――ただいま石岡君、散々歩き廻ってもうくたくただよ。もし手が空いているのなら紅

    茶を淹れて欲しいんだけどな



  長い夢の始まりは決まってこのシーン。見慣れた玄関先に少しだけ歳を重ねた彼が当然
     
かお
 のような表情をして立っている。その様子はまるでほんの数時間程度の散歩から帰ってき

 た者のようで僕はそんな彼の態度に少なからずムッとした。こんなにも長く僕を待たせて、

 こんなにも僕に寂しい想いをさせて。君は僕のことを一体何だと思ってるんだよ!? 感動

 も忘れて僕は叫ぶ。



  ――君は僕の大切な友人だよ



  そう答えるのが解っていて、そう彼に答えて欲しくて僕は乱暴に訊ねてしまう。聞けば、

 納得するのだ。
                
 うず
  僕は彼に駆け寄るとその胸に顔を埋める。寂しかった、寂しかった、もう二度と逢えな

 いんじゃないかと思ってた――泣きながらそんな言葉ばかりを繰り返す。いつもなら照れ

 臭くて言えない科白も今なら平気。だって、これは夢なんだから。







  荷物を受け取り、リビングのソファで寛ぐ姿を見ていると“あぁ、やっと僕はここへ帰
         
 しみじみ
 ってきたんだな”と沁々思う。長旅から帰ってきたのは彼の方なのだと解ってはいるのだ

 けれど、彼があまりに活力に充ちているから、そして僕があまりに疲弊を感じているから

 ついそんな風に思ってしまうのだ。

  目の前の彼はどこで何をしてきたとも言わないで、ただのんびりと僕の淹れた紅茶を味

 わっている。その光景があまりにも懐かしくて、僕はまたぽろぽろと涙を零してしまった。



  ――君、歳を取って以前より涙脆くなったんじゃないか?


                                    
くや
  揶揄うように苦笑され、僕はうん、と小さく答える。素直に頷くことだって口惜しくな

 い。だって、これは夢なんだから。







  一緒に自宅でお茶を呑んで。

  疲れているのだと言い張る彼を無理矢理散歩へと連れ出して。
                
 いえ
  少し豪華な食事を楽しみ――同じ家へと帰り着く。

  彼がすぐ手の届く場所にいることが例えようもなく嬉しくて、僕は小さく声を出して笑

 った。あぁ、やっと楽に呼吸出来るようになった、あぁ、やっと息を吹き返すことが出来

 た。

  こんな夢は――見ない方が自分の為だと解ってはいるのだけれど。

  夢の中の僕が幸せであればある程、現実の僕は辛いだけなのだと理解はしているつもり

 だけれど。

  いつも欲張り多くのことを求めてしまう、夢の中の僕。

  夜が深まり日付変更線が変わる頃、僕は彼に囁きかけた。



  ――寂しかった……ねえ今夜も、消える瞬間まで僕の傍にいてくれるんだろう……?


                   
そぶ         
  彼は僕の態度に少しだけ戸惑うような素振りを見せたが、やや間を置いてくすりと笑う

 と“ああいいよ”と頷いた。これもいつもと同じ反応。――厭になる。眠る瞬間まで傍に

 いても、朝になれば消える幻なのだと理解もしているはずなのに。



  ――それじゃあ君の部屋に、行こうか……?


        
 そそ
  囁く口調を耳に注ぎ、彼は僕の手首を握る。

  僕は静かに歩を進めると、更に深い“夢”への扉を、震える右手で押し開けた。





    
**********





  窓のない暗い部屋。僕がベッドに坐っていると、彼はその肩に両手を掛けながらゆっく

 り身体を押し倒す。僕はこの時、必ず彼の上半身にしがみ付くことにしていた。恐らく
                           
  わるあが
 “まだこの段階で消えられたくない”のだという無意識化の悪足掻きなのだろう。

  彼は少し困ったように苦笑しつつも、優しく僕の背を抱き締めてくれる。

  ――さて、ここで僕の“夢”はどちらかのパターンに分岐する仕組みになっているのだ

 が――…

  一つは、“このまま二人して眠りに落ちてしまう”という“穏やかな夢”。僕は自室の

 ベッドで友人の体温に包まれ、とても安らかな眠りへと導かれる。必ず彼は僕が眠るのを
                                       
 よく
 見守っていてくれて、僕がうとうととし始めてしまったら、そこでこの夢は終わりだ。翌
 あさ
 朝僕が目醒めると、孤独な現実が待っている。
                            
いちや
  そしてもう一つは、“このまま眠らずにこのベッドで彼と一夜と共にしてしまう”とい

 う――…“危険な夢”。僕は彼と一晩中激しく抱き合い、僕が気を失うかのよう睡魔に魘

 われるまでこの夢の時間は持続される。だが“朝の光と共に彼の幻が消え去ってしまう”

 という条件はこちらも同じだ。そして目醒めるとやはり拭い難い背徳感と虚無感に僕の心

 は苛まれる。
                              
いくど
  本心ではどちらの夢を望んでいるのだろう、と自問した経験は幾度かある。無論、後者

 の夢は初めて見た時自分の正気を疑う程に驚いた。しかし――

  この夢は前者のものに比べて二人でいられる時間が圧倒的に長い為、繰り返し見ている

 うちに僕はこちらの夢をより強く望むようになった。その上経験がないのでイメージが為

 されぬ為か、挿入まで至ったことは一度もない。正確には――挿入る直前でこの夢の記憶

 は途切れてしまう。
                                
 よご   よくあさ
  多少乱暴な考え方だとは認めるが、こうした事情も含めて僕は下着を汚しても翌朝すっ

 きりしていることが多いこの夢を見ることがそれ程苦痛ではなくなっていた。尤も――こ
   
こと
 んな事実を当人が知れば、もう二度と口も利いては貰えなくなってしまうだろうが。
                  
 
  そんなことを考えながら大人しく彼に抱かれていると、やがてその長い指がすうっと上

 衣の裾を割った。背中から脇腹へのラインをなぞり、感じるポイントを捜すかのような動

 作を繰り返している。あぁ…やっぱりだ。何となく、今日は抱き合える予感がしてたんだ。

  不思議なもので、昼間二人で過ごしている時の言行から夜のパターンを予測出来る場合
                                      ・・・
 がある。今日の彼は何だか妙に扇情的な空気を身に纏っていた。だから当然、夜もこっち。
                                   
 ほお 
  スマートな動きで釦を外し終わった彼が、さっと僕の上衣をベッドの下へと放り投げる。
 
いちど
 一度こちらの気持ちを確認するかのように優しく口吻け、僕がそれを受け入れると今度は

 少し深めに唇を塞いできた。双眸を閉じ何度もそこを吸い合っていると、それだけでもう
                         
こうちゅう
 心臓が壊れそうな程の胸の高鳴りを感じてしまう。彼の口中はいつも幻とは思えないぐら
                
くすぐ
 い温かく、舌先でちらちらと腔内を擽られると眠ってしまいたくなるような衝動が起きた。

 当然、このキスだけで全身がその気にさせられてしまう。
                                 
 
  するすると胸の周囲を撫で回していた指に緩く勃ち上がっている乳首を摘まれた。意地

 悪な愛撫に応えるかのようにそこだけが硬度を増してゆく。あまりの羞恥に顔を逸らすと、
    
じだ        しめ
 今度は耳朶を甘く咬まれた。湿った吐息が頬にかかる。
              
 よじ
  僕が親指をズボンに掛け身を捩りながらそれを下着ごと下ろしていると、彼はふふと笑

 いながら言った。



  ――大胆だね



  囁く彼に、僕は濡れた唇の端を挑戦的に吊り上げる。

  あぁ、そうさ。だって夜は長いんだもの。少しでも長く一緒にいたければ、その分愛し

 合う場所も必要になってくる。上半身だけじゃ、一晩中愛し合えないだろう? 僕は君と

 一緒にいたいんだもの、まだ消えて欲しくはないんだもの。



  ――僕はキスだけでも充分一晩かけられるけどなぁ。…本当は、全部触って欲しいだけ

    なんじゃないの?



  僕のペニスに手を掛けながらくすくすと彼は笑う。

  …あぁもううるさいな、その通りだよ。この感覚を知った今はもう……あぁ、前はこん

 なじゃなかったのに。…君のせいなんだよ? こんな厭らしい夢、平気で見るようになっ

 ちゃって……



  ――悦んでるくせに……



  君が間抜けな男にならないように悦んでやってるんだろ。ぐずぐず言わずに続けろよ。



  ――…ははっ、意外と……図々しい人だなぁ……



  彼は言いながら時間をかけて僕の全身を愛撫し、感じる場所を次々と指で刺激していっ

 た。僕の唇からは切ない喘ぎが幽かに洩れる。この夢は何やら見る度に想像がリアルにな

 ってゆく気がして、我ながら自分が怖い。

  こちらから奉仕に値することは何もせず彼だけに働かせ僕は淫らな夢を貪っていた。別

 に勝手でも何でも夢の中なら構わない。僕が何をしたところで向こうは所詮幻影でしかな

 いのだから。
    
 ひとたび
  しかし一度そんな風に考えるとやはり自分は今独りなのだと思い知らされ寂しさに涙が

 湧く。本物の彼は僕のことを愛してなどいないのだ。それどころか――友人として認識さ

 れているのかどうかさえ解らない。

  ……だったらこんな夢見なければいいのに。目醒めた時により寂しく、苦しくなるぐら

 いならこんな夢はいっそ見ない方がいい。

  解っているくせに――…あぁ、もうこんなことは本当に今夜で終わりにしなければ――

 夢から醒める為に両手を枕に掛け彼を迎え入れる準備をしていると。



 「ただいま、石岡君」


       
 だんせい
  妙に生々しい男声と共に訳の解らない激痛が僕の下身を魘った。――…な…何だ、これ

 は!? って言うか…――ええっ!? ちょっと……何だ、この夢……!?

 「…いい加減目を醒ませよ、いつまで僕は夢の住人を演じていなくちゃならないんだ。―

 ―ほら、もう解るだろう? それとも君は、この痛みまでリアルに夢を見ていたの?」

 「――…ぅっ、…あ、っ……ちょっと…厭、ぁっ…」

 「厭なわけないだろう、こんなに大胆に僕のことを誘っておいて。さぁここからどうして

 欲しいの? いつもはどうして貰ってた?」

 「しっ、知らない…! ――…ぁ、…痛、い……やだ、動かないで……!」

 「はあ……全く参ったね、帰国して早々こんな大仕事をすることになるなんて。それにし

 ても人は見かけによらないって言うか……君がこんなことを毎日やっていたとはね、……

 想像もしてなかったよ」

 「…んっ、動くなってば…! ――あぁ、ン! …は、……それに、…っ……毎日じゃ、

 …ないし……」

 「やってたことは事実だろ? あぁ、何て厭らしい人なんだろ、勝手にこんなことまで想

 像して」

 「や、っ…――ん、厭……もう、見ない、で……」

 「――逢いたかったよ」

 「――――……」

 「逢いたかったんだ、君に。――ただいま、石岡君」

  その科白を聞いた途端、激しい痛みが甘い疼きへと変わった。…いや、それは言い過ぎ

 か。痛いものは痛い。だけどそれ以上に――僕は彼の一番近いところにいられる自分をと

 ても幸せだと思った。

  あぁ、独りで耐える痛みに比べたらこれぐらいどうってことない。この痛みにだったら

 ――僕はいくらでも、耐えられる……

 「――…本、物…か……?」

 「…だからそう言ってるだろう」

 「…何…で、こんなこと…するんだよ……っ?」

 「それはこっちの科白だよ、――…っ…」

 「あぁ…逢いたかった、逢いたかった、逢…――ンン、っ…」
                     
 あと
  懐かしい大きな掌で強引に口を塞がれ、その後すぐ降りてきた唇に言葉を全て吸い取ら

 れた。もうここまで何もかも曝け出してしまったら行き着くところまで行くしかないだろ

 う。
    
 あと
  達した後に眠ることが怖かったが、経験したことのない泥のような疲労感に耐えきれず

 ふっと重い瞼を降ろす。

  ――あぁ、もう自分だけ……本当に勝手なんだから

  呆れたように呟く彼に優しくキスされる気配を感じ、僕は、深い眠りの海へと沈み込ん

 でいったのだった。





    
**********




  よくあさ 
  翌朝、目が醒めてみると相変わらずの風景が眼前に広がっていた。“何だか昨日は物凄

 く幸せな夢を見た気がするんだけど”――心の内で呟いて、僕ははっと顔を上げる。

 「…御っ、…――――」
  
みたらい
  御手洗……!? …そうだ、僕は昨日本物の彼と抱き合って、それで…――

 「……!」

  乱暴な手付きでシーツを剥ぐと僕は慌てて寝乱れた寝台から飛び降りた。瞬間、下身に

 何とも形容し難い鈍くて怠い痛みが走る。

  帰ってきた帰ってきた帰ってきた、僕に逢いたかったと囁きながら、その全身で心ごと

 全部抱き締めてくれた……!

  ――どこだ、御手洗!? どうして僕が目醒めた時に傍にいてくれないんだ?
                                  
  キッチン
  胸に迫る厭な予感に目を背けつつ僕は部屋中を走り廻った。トイレ、浴室、厨房、リビ
                   
 ひら        ひと
 ング、そして、彼の部屋――…全ての扉は開くのに、逢いたい男だけ、どこにもいない。
 
しょうぜん                                ゆか
  悄然とした気持ちで僕は彼のベッドに坐り、昨日彼のバッグを置いたはずの床の上を見

 つめた。――やはり、そこにも何もない。

  僕は二段構えの、長い長い夢を見ていたのだ。

 「…ぅ、――――…っ…」
  ひざうえ
  膝上で握り締めた両拳にぽたぽたと涙が零れ落ちる。何が哀しくて泣いているのかさえ

 もう解らない。

  彼がいないことか、自分が独りであることか、それともこんな夢を見続けている現実か、

 自らの身を犯してまで――浅ましい快楽を得ようとしたことか。

  僕は酷くだらしない恰好で身に着けられているパジャマを見下ろし恥知らずな我が身を
                   
 おびただ
 呪った。ベッドもそうだったが衣服にもまた夥しい数の染みがあちこちに残されている。

 ……一回じゃなかったのか。



  ――ただいま、石岡君



  …あぁあの声が、姿が全て僕の創った幻だったなんて。誰を怨むべきかは知らないけれ

 ど、今日見た夢はあまりにも惨酷過ぎた。別に彼と抱き合いたいわけじゃない。友情以上

 のものを求めているというわけでもない。それでも……

  この喪失感だけはどうにも拭えるものではない。僕は寝室のクローゼットから彼がよく

 着ていたシャツを一枚選び、それをベッドに広げながら静かに身体を横たえた。

  誰も見ていないとはいえ流石に恥ずかしいので下半身はシーツで隠す。
                                      
 よご
  そろそろとズボンを下ろし下着の中へ手を差し込むと、案の定そこは情けない程に汚れ

 ていた。……あぁ駄目だ、こんなことばかりしてたら、本当に御手洗に嫌われる。御手洗

 に――…あぁ、御手洗、御手洗……

 「――おやおやー、まだ物足りないって言うのかい? あれだけ出しといて。全く、どう

 なっちゃってるんだろうね、君の身体は。どこか悪いんじゃないの?」

 「・・・・」

  ――――…えっ……?
                                
 よご
 「勝手に人の部屋のベッドに寝て、勝手に人の服まで引っ張り出して。汚したって洗濯す

 ればいいと思ってる? それとも――なかなか帰ってこない薄情な同居人の所有物なんて

 捨ててしまっても構わない?」

 「……!!!!!」

 「…おっと、隠れてたんじゃないよ、君がここを捜さなかっただけだよ。僕はただ単にこ

 こから見下ろせる馬車道を懐かしく眺めていただけだ。旅行鞄はベッドの下。自分の荷物

 を片付けて何が悪い?」

  御手洗はヴェランダから室内へ入るとシーツで全身を覆い隠している僕にゆっくりと歩

 み寄ってきた。とりあえず反射的にズボンだけは直したものの――やっていたことはほぼ
                            
 なん
 完璧に見られていたはずだ。…あぁ、どうしよう、こんな……何の言い訳も出来ない状況

 で……

 「みっ、…見た……? 今の……」

 「うん、硝子越しに何となく」

 「で、帰ってきたのはやっぱり昨日の朝…だよね?」
          
ゆめうつつ                       
   はじ
 「何やら君はずーっと夢現で訳の解らないことを散々口走っていたけどね。早くも惚け始

 めているのかと思ってびっくりしたよ」

 「昨日の、夜のことは……」

 「――自分の身体が今まともじゃないことは解っているんだろう?」

 「はぁ〜……もう、ちょっと……勘弁してよ……」

  違うのに違うのに。いつもこんなことを考えながら暮らしているわけじゃないのに。こ
               
ところ
 んな肝心な日に。こんな肝心な場面で――…ああ、こんな情けない再会ってあるだろうか

 ? もう二度と彼の顔をまともに見られそうにない。

  じっとそのままシーツに包まれ自分の顔を隠していると、突然優しげな声色になった彼

 にぽんと肩を叩かれた。

 「――顔見せてよ」

 「…………」

 「顔見せてよ石岡君。僕は君に逢う為にここへ帰ってきたんだよ」

 「…………」

 「いいよ、びっくりしたけど軽蔑はしてない。そもそも僕が君に協力したことだって、後

 で気まずい想いをさせないようにとの配慮だったわけだし…――ま、まさか更にこんなこ

 とまでしでかしてくれるとは思ってもみなかったけど」

 「…………」

 「顔見せてよ石岡君。ぐずぐずしているとまたどこかへ消えてしまうかも知れないぜ?」

 「――…忘れてくれる? ……色々……」

 「……努力するよ」

 「…じゃあクローゼットの方、向いて……立っててくれる?」

 「…OK」

  僕は覚悟を決めするりとシーツを顔から外すと思い切り彼の背に抱き付いた。別に誘っ

 ているわけではない、ただ顔を見られたくないからこうして彼を押さえ付けているだけだ。

 「――…お帰り、御手洗君……」

 「…何、甘えたような声出して」

 「お帰り……」

 「何で抱き付いてくるんだ? もしかして誘っているのかい?」

 「お帰り……」

 「解った解った」

 「――お帰り!」

 「あっははははは! 九官鳥みたいだな!」

  彼は心底楽しげに僕を揶揄い、くるりと身体を反転させると僕を後ろのベッドへと押し

 倒した。まさかそんなことをされるとは思ってもみなかったので僕は簡単に軽い身体を組

 み敷かれてしまう。何するんだよと怒鳴ろうとしたところへ、彼の優しい声色が目の前か

 ら降ってきた。

 「――ただいま石岡君?」

  にやりと意地悪く唇の端を吊り上げながら彼は言う。こちらの欲しい言葉も反応も知っ

 ていて――解っていてやっているのだ、何もかも……

 「ただいまただいま石岡君、ねぇこれでいいんでしょ?」
  
 
なん
 「…何か感動が薄れる言い方だなぁ……最後の科白は余計だよ」

 「ただいま」

 「お帰り、…? ――ンっ? …ンンっ……」

  両の手首をシーツに押さえ付けられたまま彼の眸を見つめていると、チュッ、チュッと
 わず  おと
 僅かな微音を立て何度も唇に口吻けられた。こんな非常識な奴振り解きたいところだが、

 何故だかそれが出来ない。

 「――ぅんっ、も…いい、よ…――んんっ、解った、っ…から……」

 「――…何が……」

 「…何、外国でもこんなことばっかり、んっ、…してたの…っ……?」

 「……してたと、思う……?」
        
 あと
  そう低く呟いた後、彼は最後に長く長く口吻けた。今度のこの温もりこそは、紛れもな

 い、現実――…。





    
**********





 “二人分のティーセットや食事を並べたテーブルなんて一体何年振りに見るだろう”と半
        
  キッチン
 ば感動しながら僕は厨房に立っていた。御手洗は僕の作ったサンドウィッチを口に運びな

 がらにこにこと気味が悪い程の笑顔を浮かべている。

  キウイフルーツの入った硝子ボールをテーブルへ置き僕は言った。

 「――大体失礼なんだよなー、仮にも十四年間一緒に生活を共にしてた友人だぜ? 一言
   
 なに
 ぐらい何かあってもいいだろう」

 「だから、ただいま」

 「今じゃない! 行く前だ!」

 「行く前にはテーブルに残していったろ? ちゃんとした手紙を」

 「『ちょっとヘルシンキに行くことになったので、留守を頼む』のどこがちゃんとした手

 紙だ!? あんなものはただのメモだ! 散文的にも限度があるよ、全く、いつも書いてい

 る論文だって一体どんな内容なんだか……」

 「興味があるなら読んでみるかい?」

 「論文って英語なんだろ!? 読めないよ!」

 「僕が口を開くと大抵君は怒るね。向こうではそんなことは滅多になかったんだがな、何

 だって君はそんなに怒りっぽいんだろ」

 「……僕は君が帰ってくるまでのここ数年というもの人に怒鳴った記憶もないんだがね…

 …何だって君はそんなに怒らせるようなことばっかりしでかしてくれるんだろ」

 「僕達って仲良しだよね」

 「どこが!?」

  僕がテーブルにバンと片手を突きながら席に坐ると御手洗は楽しそうにげらげらと笑っ

 た。ミルクティーを呑みながら酒にでも酔っているような男だ。はっきり言ってうるさい

 し目障りだと思う。

  でも――…

 「……やっぱり違うなぁ、ここは……」

 「…………?」

 「もうフィカなんかしなくたっていいんだな……だってそんなことしなくたって、君は…

 ――」

 「…………!」

 「…いいなあ、ここ……ここがいいよ……」
       
こぶし
  御手洗は左の拳で頬を支えながらぽつりぽつりと呟いた。眸からすうと一筋の涙が伝い

 落ちる。――しまった、先を越された。

  本当はこちらが泣きたかったのだ。二人で囲む久し振りの朝食、下らない喧嘩。そんな

 ものに再会出来たことが嬉しくて、幸せで――まさか、この男が泣くなどとは夢にも思っ

 ていなかったから。

  僕は素知らぬ顔でティーカップを手に取ると紅茶を口に付けにやりと笑う。

 「――君、歳を取って以前より涙脆くなったんじゃないか?」

  言うと、御手洗は素直にうん、と頷いた。夢の中の僕と同じように。



  これから僕達二人の関係がどう変わってしまうのかは解らない。彼がいつまでこのマン
    
 
とど
 ションに留まっていてくれるのかも――解らない。

                            けっ
  だけどあんなにとんでもないことをしてしまった後でさえ決して相手を嫌いになったり

 はしない。自然でいられる。これが僕と彼の関係。

  ……夢の中にいるよ。

  子供の頃に漠然と望んでいた、無二の親友の存在。どんなに遠く離れていても、どんな

 に長く離れていても互いに互いを必要とし、認め合える。

 「――僕は今、夢の中にいるんだ。だから……」

  夢の中でぐらい、泣いている御手洗君を僕が慰めたっていいよね。

 「お帰り、御手洗君」

  僕は席を立ち彼の頬に伝う涙を拭うと懐かしい大きな身体を優しく全身で抱き締めた。

  君が傍にいるこの現実こそが、最大の……



  ――in My Dream――











何でこんなことに……!!(笑)
いや、確かに今回はバカップルのエロ話目指してたけどさぁ……
ここまでやるつもりじゃなかったんだよね
(これじゃあ“エロカップルのバカ話”だろう:涙)。
ありふれたネタだけど一回ぐらいは書いておきたいと思い完成させてみましたが、
コメディのつもりがいつの間にかシリアスになってるし(←御手洗が泣いたせい)。
駄目だなぁ、色々と…――ま、適当に読み流してやって下さい。
っつーか御手洗さん……貴方、キスし過ぎ(毎回毎回:笑)。




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