EXTRA STAGE 006-1 / TYPE-C Violet Trip ヴァイオレット トリップ |
僕の方は長く手掛けていた研究論文が完成し、彼の方も、大長篇の私小説を脱稿し。 ドア あ お互い、最高に気分が良かった。午後六時過ぎに巧いタイミングで寝室の扉を開け、達 成感に充ちた笑顔を交わす。 「久し振りに呑みたい気分だな」 「じゃあ今夜は外食して――ぱあっとどこかへ呑みにでも行く?」 返事を確認するまでもなく二人はジャケットを取る為さっさと自室へ引っ込んでいた。 ドア 上着を手に持ち扉を閉めたら準備は完了。こんな時、“あぁ彼が女性でなくて良かったな ァ”と改めて実感させられる(特別な他意はない。単に服を着替えたり化粧をしたりする 必要がないことを有り難いと言っているだけだ)。 火の元と戸締まりを確認し僕達は部屋を出た。 秋風が肌に優しい、九月半ばのことだった。 ********** い つ 一体あの酒は何だったと言うのか。やはり普段行き付けぬ店になど入るものではない。 あと 少し豪華な夕食を済ませた後、僕達は店を変え珍しい酒をオーダーした。それはその店で も滅多にお目にかかれない、貴重なカクテルなのだと言う。 いしおかくん 僕はそんな珍しいものが呑みたいわけではなかったのだが、石岡君が例の好奇心を発揮 しそのカクテルを呑みたいと言い出した。 あおむらさきいろ 確かにそれは美しい青紫色をしており、見た目にも非常に魅力的な代物ではあった。だ から僕の方も“まぁいいか”と賛同し、彼と同じ品を頼んだのだが…… 「うわー、本当に綺麗なブルーヴァイオレット! 何だか呑んじゃうのが勿体無いような 気もするなぁ」 「じゃあ眺めてれば?」 「でもやっぱり呑みたい。ほら、色の綺麗なものってさ、例えば硝子とか紙とか、そうい う“食べられない”って解ってるものでも無性に“食べたい!”って思うことあるじゃな いか?」 「じゃあ呑んだら?」 「もぅ、解ってないなー。こういう“色”っていうのはね、創りたいと思っててもなかな そら か創れないものなの! …あぁーこの色、あの頃に出せてたら空の感じも巧く表現出来た のになー、惜しいなー……」 僕の隣のカウンター席に腰を掛け透き通るグラスを傾けながら彼はキラキラと双眸を耀 かせている。 あぁ、そういえば…… 「そうか、君は……絵描き、なんだったっけ……?」 「んん? …あはっ、そうだよー? 別に大した画家じゃあないけどねー」 そうだ――僕は初めて彼の職業を知った時に何だか“絵描き”という言葉が彼のイメー ジとぴったり当て嵌まっているような気がして妙に微笑ましく思った記憶がある。 あと 僕はグラスを彼のものに重ねた後、改めてその色彩を鑑賞しゆっくりと液体を口内へ運 んだ。――…ん? 何だこれ? みたらいくん 「――…どうしたの御手洗君」 「……美味しい」 「は?」 「石岡君、美味しい。……いや、こう言っちゃ何だが正直期待していなかったんだ、“見 た目が綺麗なものって実用性のないものが多いから味は大したことないかも”って。でも こいつは凄いよ、眺めてるだけなんて勿体無い」 「へえ! 君がそう言うってことは本当に物凄く美味しいんだ? でも呑んじゃったら、 色が……」 あと 「だったら呑んだ後にまたオーダーすればいい。…少し高価な酒だがね、まぁそれも頷け る外観と味覚だよ。何なら飽きるまで僕が奢ってあげてもいい」 「どんな味なの?」 「それが説明出来ないから呑んでみて欲しいんだ。…とにかく、凄いカクテルだよ。それ だけは保証する」 僕は断言した。そして結局のところ、これは本当に大した酒だった。外観も味覚も値段 も――強度も。 口当たりの良さに釣られかなりのアルコールを摂取した僕達は、酷く泥酔し馬車道のマ ンションへと帰り着いた。 もの やはり、あんな酒に手を出すべきではなかったのだ。 ********** 陽気な酒だった。…という表現は適切ではないかも知れないが、少なくとも互いに悪酔 いはしていなかった。吐き気もしなければ精神が狂暴になるでもない。マンションへ帰り どうてい 着く道程にも問題はほとんどなく、自分の正体も思考も比較的はっきりしていた。 ただ一つだけ問題なのは“異常に喉が渇く”ということだった。身に浸み付いた習性と キッチン でも言うべきか、彼は真っ先に厨房へと向かい二人分の冷水を用意してくれる。こういう ことは自分の仕事だとでも思っているのだろうか、律儀な彼の行動にふっと淡く微笑した。 何よりも早くと水を求めた為に電気すら点けず上がり込んだリビングの中、ちらりと耀 くグラスへ向かい僕はゆっくりと右手を差し出す。“彼の方が僕より酔いが酷い”“こち らがしっかりしなければ”――気を付けていたつもりだったのだが。 「――…あっ……」 ゆか 気付いた時には、手遅れだった。二人の手を滑ったグラスはゆっくりと床へ落ち、じわ じわと黒い染みを広げてゆく。 「…あーぁ……」 ゆか ほお 僕は水に濡れた床を見つめ小さく嘆息を洩らした。別に真水ぐらい放っておけば渇くじ ゃないかというのは不精者の言い訳で、彼のような人間相手には到底通用する理屈ではな い。 しかし覚悟をしていた彼の怒声は全く聞こえず、代わりに僕の手にはもう片方のグラス が押し付けられた。呆れた口調で彼が言う。 「…もう、仕方ないなァ…――はい、水」 「えっ? あぁ、うん……でも、君のは……」 「後でいい――君、喉渇いてるんだろう? 呑めよ」 「…………」 ほんの少しだけぼんやりとしてしまったのは彼の優しさを再認したからだ。僕は一瞬で も口腔を潤せればそれで満足と一口分水を含み彼にグラスを渡すつもりにしていた。とこ ろが―― 本当に、何て酒だろう――“一口だけ”とグラスから舌を離してみても、……駄目なの こうちゅう だ。“もっと”“もっと”と口中が貪欲に水を欲しがり、グラスから手が離せない。 つら ゆか 僕がこの調子なら彼もさぞ辛いのだろうな、と決意し床に坐り込む彼の背後へ歩み寄っ た瞬間だった。 「――…も…駄目だ……残りの水、呑ませて…――」 酷く掠れた声でそう言いながら僕の手からグラスを受け取る。意外としっかりした手付 わず きでそれを掴み、薄い硝子に唇を押し当てると二〜三度僅かな音を立て透明な水を流し込 んだ。 「…はあっ……」 つ コン! と用済みになったグラスをテーブルの上へ戻し置き彼は短く息を吐く。だが二 人共これで満足しているわけではなかった。喉の渇きはまだ半分も癒されてはいないのだ。 く 面倒だが仕方がない、もう一度水を汲んでくるか? いや、これは氷にでも切り替えて さいちゅう きた方が賢明か――そんなことをあれこれと考えている最中だった。 「――…じゃ、駄目…かな……」 「えっ、…――――」 「っん、――…ン…」 あと ――びっくりした。「キスじゃ、駄目かな……?」という小さな呟きの後に突然水に濡 れた唇を彼の唇に塞がれたのだ。 片腕を後ろに回し僕の頭部を思い切り強く引き寄せながら温かな舌を挿し込んでくる。 しらふ 暗闇の中で淫猥に唾液を混ぜる音を聞きながら虚ろな双眸を伏せている彼は明らかに素面 ほう ではなかった。そして、その彼と熱烈な口吻けを交わしている相手の方はというと―― さ 意識ははっきりとしていた。自分の心理も言行も、普段と然して変わりない。 なに けれどやはり“何か”に酔っていたことは間違いがないだろう。こんなにまでも不安定 な体勢なのだ、こちらに応じる気がなければいくらでも行為はやめられる。なのに―― 随分と長い間そうしていたのは、恐らく僕の方もその状況を楽しんでいたからなのだろ こうちゅう う。気が付くと僕は自らの身を屈め積極的に彼の口中を探り返していた。――言い訳をす るつもりではないが、初めは確かに互いの喉の渇きを癒す為の行為だったのだ。だがもう 今となっては、目の前で展開されている事態が何を目的としているのかすら定かではない。 酔っていたのだろう――少なくとも、彼の方は。 やがて諦めたように小さく首を振ると、彼は喉の奥を鳴らしくすくすと笑い始めた。だ らりと後方に反らした身体を左腕で支えながら、誰に言うでもない呟きを洩らす。 「……やっぱり、駄目かぁ……でも…――気持ち、い……」 こぶし ふふふ、と軽く握った拳で口元を押さえながら彼はキスの余韻に浸っていた。自分の横 で片膝を突き坐り込んでいる男の正体を自覚しているのかいないのか。しかし正気に戻る もまた一興と、僕はいつもの口調を返す。 「こちらこそ。…君思いの外、巧いね」 すると彼はふふ、と満足気に微笑を返し、僕の胸の中に酷く中途半端な角度で凭れ掛か ってきた。妙に熱い身体が僕の心音を強くし頭の芯を痺れさせる。僕は――…一体、どう したっていうんだろう。 「もう少し…こうしてて、い……?」 甘えたような声色でそう訊ねられた時、僕は自然に彼の顔を横に向かせ深くその唇を塞 ぎ取っていた。 「気持ち、いい……?」 「――…んー……」 ちらちらと舌先で唇を舐めたり軽く吸い合ったりを繰り返しながら、僕は背後から彼の シャツを探り胸元の釦を外した。二つ程外した隙間からするりと右手を差し入れ滑らかな 肌の上で遊ばせる。片膝を立て坐り込んでいた彼の足がぴくりと跳ね、長い口吻けは再び 中断された。 「…ぁ……は、…」 「――…何?」 「――…ううん……」 は 闇にも完全に目が慣れてきた――彼の顔を覗き込むと、息を深く吐いたり止めたりしな がら僕の手の動きを追い双眸を閉ざしている。時折眉間に皺を刻むのは、快感の故なのか。 「――ぅ、ん……」 「――…何?」 「…苦しいんだ……」 「何が……」 「…この、体勢……」 「…――は、っ…」 鼻先で笑いシャツから右手を引き抜くと、僕は身体をずらし彼を真後ろから抱え直した。 しかし――よく考えたらこんな状態に二人で落ち着いてしまって一体どうしようというの だろう。 よじ さて、と首を傾げていたら、続いて彼がゆるゆると身体を捩り不満そうに呟いた。 「…熱…い……このシャツ…邪魔だな……」 いえ 「――ここは家だよ、邪魔だと思うのなら脱げばいい」 「解ってるよ……面倒だからぐだぐだ言ってんの……あぁ、怠い……」 「じゃあ脱がそうか?」 「うぅ〜ん……どっちでもいい」 ――あぁ、やっぱり酔ってたか……。 何故少し寂しく感じるのかと考えつつ僕は背後から釦を外し、彼のシャツを脱がせた。 眼前に彼の素肌が現れその白さにどきりとする。見慣れているものであるはずなのに、暗 ほう い場所にあるというだけで何故か酷く厭らしい気がした。何も出来ずにぼんやりと惚けて いると、彼はまたくすくすと笑い出す。 何を考えているのかな、と思っていたら彼は僕の腕の中でくるりと身体を回転させ、僕 のシャツの釦に指を掛けてきた。 「…邪魔なんだって、これ……」 「――はぁ?」 思わずおかしな声を出してしまう。彼は僕のシャツまで煩わしいと言うのか? 「…僕にも脱げって言いたいの? もしかして……」 「…あぁ、いい……手伝ってやるから……」 訳の解らぬことを言いながらシャツの釦と格闘している彼を見下ろし僕は小さく噴き出 してしまった。釦ホールを盛んに引っ張ってはいるものの、見事に一つも外れていない。 「あぁ、もういいよ……」 彼は少しふてくされたように嘆息すると、僕の衿首をくいと掴み酷く面倒臭そうに唇を たち 重ねてきた。――随分と質の悪い酔っ払いだ。 「――…石岡君……もうそろそろ自分の部屋で眠った方がいいんじゃないのか……?」 お互い喉の渇きも気にならなくなったみたいだし――僕がやんわりと唇を離した瞬間だ った。 「…――あれぇ? もしかしてキスしてないか、僕達……」 「……今気付いたのか……」 とんでもない科白に半ば呆れながら僕は薄く苦笑する。だが少しは正気に戻ったか、蒼 なじ あと 褪めて僕を詰った後に部屋にでも引き籠もるかな、と思った彼は何故か楽しそうに一笑す ると僕の膝の上に頭を乗せた。――おい。 「…石岡くーん、ほら、いい加減にしないともうどうなっても知らないよ」 言いながら“ああ、やっぱりそういうことなんじゃないか”と自分自身に確認する。こ ちらは酔いが醒めるにつれ少しずつ欲望が明確になってゆく――つまり、どうやら僕は彼 ふ の身体に“もっと深く触れること”を望んでいるらしいのだ。 こんなことならばキスなんてしなければ良かった、今夜は眠れなくなったじゃないか、 膝の上の想い人を軽く睨み付けた瞬間だった。 「どうって何がどうなんだよ……どうにもならないよ、別に……」 ひざうえ 彼がぽつりと呟きながら膝上の頭部を仰向けにする。もう本当に―― 「…どうなっても知らないからな……」 ドア 僕はされるがままの彼を抱きかかえると、リビングをさっと横切り足で自室の扉を開い た。 中途半端に寝乱れたベッドの上へ彼の身体を横たえる。笑っていられるのも今のうちだ からな、と薄闇の中で彼を見下ろすと今度は軽い寝息を立て安らかな眠りに落ちていた。 僕は彼が必死で剥がそうとしていたシャツを脱ぎ捨てベッドのスプリングを軋ませる。 まさか本当に。こんなことに、なるなんて――無防備な彼の上に跨ると僕は白い鎖骨に あおむらさきいろ 口吻けた。双眸を静かに閉じると、青紫色の心地好い波が見える。 ********** 数十分程軽く眠っていたようだった。 あと 彼は自分の置かれた状況を何となく察した後、さっと顔色を変え上体を起こす。 「なっ、……ななな何で御手洗っ!? ちょっと待てよ、ここはどこだ!? 何やってんだ、 一体っ!?」 ――ようやく完全に酔いが醒めたらしい。恐る恐るという感じで見下ろした自分の肌に 幾数もの鬱血の痕を見つけ、彼は左の指でこめかみを押さえた。記憶を探っているつもり のようだ。 「ここは僕の部屋で、やっていたことは一応性行為」 つ 平然と答えてやると、彼は全裸の二人を静かに見比べ「ああ〜…」と溜め息を吐いた。 ベッドの上に坐り込んだ僕達は視線を合わせず対話する。 「念の為に言っておくが――誘ったのは、君の方だよ」 「嘘っ!?」 「初めにキスしてきたのも君の方だし――」 「キス……したのか……?」 「この状況だ、していない方が珍しいだろう」 「――…何回……」 「……四……いや、五……?」 「五!?」 「――ラウンドぐらいかな……」 「何だそれっ!?」 「いや、回数がどうとかいう問題じゃないんだ……一回の時間が長かったから。だってす るごとに吸ったり、舌挿れたり…」 よ 「言うなーっ!! ――…あぁ……嘘、どうしよう……あぁ、酔っ払ってたんだ、僕……選 よ りにも選って御手洗なんかと、キス……」 「失礼な人だな、御手洗なんかとは何だ。気持ちいいとかこのままでいたいとか言いなが しなだ か ら僕に撓垂れ掛かってきたくせに」 「しっ、…しししししてないっ、そんなこと!」 「したんだよ、笑いながら。――あとこのシャツも。物理的に脱がせたのは確かに僕の方 だが精神的には君が両方共剥ぎ取ったんだよ?」 ほ 「はぁっ!? 何言ってんだよもう、訳解んないっ! って言うかさぁ、何でそんなの放っ ふ ほど とくんだよ、振り解けよ、止めろよ!」 「そう出来れば良かったんだがね、僕も酔っていた」 「あぁ〜……そうか……」 ――やっぱりちょっと莫迦だな石岡君。本当に酔っていたのならキスの回数まで正確に 答えられるもんか。 彼は両手で顔面を覆うと、半ば涙声になりながら力無く呟きを洩らす。 「…あぁ、まぁ……終わったことは仕方ないよね……お互い、今日のことは夢だったと思 うことにして…」 「――でも、現実だよ」 「えっ、何、ちょっと……」 「終わってもないよ」 「――…何?」 僕はベッドから降りようとする彼の腕をぐいと引っ張り動きを止めた。そのまま目の前 に坐らせる。 なに 「君何か勘違いしてないか? ――やってないよ、最後まで」 「えっ」 さいちゅう 「正確にはやろうと思っている最中に――目醒めた。…良かったね」 「…はっ、…あははっ…」 彼は右腕を掴まれた恰好のまま眼前の僕と数秒間見つめ合い、気が抜けたような笑声を 放つと再びシーツの上に脱力し坐り込んだ。そこで僕はすかさず左の腕を掴まえ前方に向 かい体重をかける。彼をベッドへと押し倒す。 かお シーツの波に沈みながら彼は一瞬雪の塊をぶつけられたような表情をした。――楽しい。 「えっ? …や、何…ちょっと……!」 「何」 「えっ、何で? だって、まだ、その……最後まで、いかなかった…わけだろ?」 「そうだよ」 「だったら…――あはっ、何でこんな……揶揄うなよ、放せよ」 「だから。――言ってるだろ石岡君、まだ“終わっていない”」 「えっ、それって…――そういう意味、だったのか……!?」 「そう、肝心なことが終わってしまう前に君は正気に戻ったわけだ。――“良かったね”」 「よっ、良くなんかないよ、何考えてんだ莫迦! 放せ!」 「さぁ、どうしようか」 僕は蒼褪めている彼に向かいにこりと爽やかな笑みを送ると右手で華奢な肩を押さえ込 み左の指で胸の中央を引っ掻く。外部からの刺激に全身が反応した。人の身体って面白い。 だが彼には不快としか感じられなかったらしく怒気を含んだ声で抗議する。 「…痛いっ! 力入れ過ぎなんだよ、ムカつく」 「あ、そう? じゃあ…」 ふ ふ 指の角度を変え、触れるか触れないかという力加減ですうっと優しく撫でてみた。彼の 眉根が皺を刻み唇が軽く咬み締められる。 「このぐらいで…――どう?」 「うっ、ん……そんな感じだったら、って――違う!!」 「ええっ、今度は何だよ?」 色々と注文の多い人だな石岡君、まさか完璧に自分の理想通りじゃないと納得しないタ しか イプの人なんじゃないだろうな? ――僕が小さく眉を顰めると彼は険しい表情になって 叫んだ。 「“今度は何”じゃないよ莫迦! 根本的なところが間違ってる! やり方をどうこう考 える前にやってること自体の重大さに気付けよ、何目茶苦茶やる気出してんだ! 大体― ―」 あと 彼は真っ赤になってそう言った後、不自由な右手で僕の下半身の辺りを指す。どこかし ら勝ち誇ったような口調で、言った。 なに 「――御手洗君、今君が何かしようとしている相手は“僕”だ」 なに 「目は見えてるさ、それが何か?」 かずみ 「本当にちゃんと理解してるか? 相手は僕だぞ? 石岡和己なんだぞ? こういうこと は誰とでも出来るってわけじゃない、欲情なんか出来るもんか」 「――…ふっ」 組み敷いている友人の顔を見下ろしながら思わず僕は笑ってしまう。今更じゃないか? そんなこと。 「君こそ正確に状況を理解しているのかな? その気になるもならないもない、だって僕 達もう既に――」 「???」 すっ、と彼の手を取ると僕はそれを僕自身の股間へと導く。まさか手を濡らしたものが 水だと思うはずもない。 「…――!!! うっ、そ、ちょっとホントにやだ、何で御手洗、気持ち悪い! って言 うか君のことじゃなくて、手――…」 「落ち着けよ石岡君、生理現象だ」 さっき 「あぁ……先刻から感じてたもどかしいような苛々の正体はこれだったのか……」 「気付かない方が難しいと思うがね。まぁ、そういうわけだ。当然僕ももどかしい。苛々 する」 「でもだからって――! ……そんな、このままやっちゃうのがいい事だとは……だって 厭だろ、そんなの……」 「――しかし。このまま君を放したところで互いが部屋で第一にすることは目に見えて解 っている。君、滑稽だと思わないか? 扉二枚隔てた同じ屋根の下で、二人の男がマスタ ーベーション…」 「言うな――ッ!! ――…あぁ〜、はあ、何で……? どうしろって言うんだよ、全く… …こんなやる気のない会話してんのに、身体の方だけ、…あぁ……」 みなぎ 「しかも何だか中途半端なんだよね。欲求だけが全身に漲ってる感じと言うか」 「あぁ…本当、勘弁してよ……元はと言えば、あんなカクテル呑んだのが間違いだったん だ……はぁ〜…」 とうとう彼が観念したように右手の甲を額に当てたので、僕は許可が下りたものと判断 うえ し白い肌にキスを落とす。腕を上方に挙げているせいで首筋から腰までのラインが見事が ら空きになっていて実に仕事がやり易くなった。ああ、事件の時もこれぐらい気が利けば 本当に有能な助手なんだが…… 「――…ンっ…く、……ぁっ…――はあ、っ……」 こえ 小さく音を立て口吻けを落とす度にいちいち身体が反応する。素直に嬌声を出さずに耐 そそ えているらしいがその表情が余計に唆る。これは思っていた以上に面白いことになってい るかも知れないぞ――心の中でにやりと微笑した瞬間だった。 「最…後まで、…しない、よな……?」 「ん?」 「厭な言い方、するけど……お互い抜いちゃえば、それなりに納得するわけで――…だか なに ら最後まで何かをする必要があるわけじゃ、ないだろ…っ…――んっ…」 「…………」 「……だってやる方だって、絶対嬉しくなんてないと思うし、そんなことしてまで気持ち 良くなりたくない……は、っ……――…って言うか……」 「…………」 さっき なん 「――…先刻から気になってるんだけど“そんな場所”に何の用があるって言うんだよ― ど ―ッ!! 汚い! 気持ち悪い! 退けっ!!」 ガツッ、と妙な音を立て彼の膝が僕の胸を蹴り上げる。痛い、と言うより、…苦しい。 何て乱暴なことをするんだ、無二の親友に向かって。 かお 「気付いたような表情すんなッ! 無断で人の変なところ弄っといて!」 石岡君……人体に“変なところ”なんかないよ。そこは別に食べ物を排泄する為だけに しか使っちゃいけないわけじゃないし…… 「心の中でどんな言い訳したって駄目だっ! 大体――何で勝手に自分が男役になってん だよ!!」 「…………」 ――――…は? 僕はぽかんとした表情のまま目の前に坐っている彼と見つめ合った。――何だって? なん 「くそー、このままじゃ何かフェアじゃない気がする。ムカつくムカつくー! ちくしょ う、もしどうしても最後までやるって言うんならこっちにだって覚悟がある。僕が君をや ってやる!!」 「……何?」 ピンと伸ばした人差し指を僕に突き付け、彼は恐ろしい宣言をした。石岡君、それは… …このジャンルにおいてはちょっと不人気なカップリングと言うか――…今このシーンに 差し掛かった皆さんも見たくないって思ってるよ、多分。 よご かお すると彼は僕が服を汚して帰ってきた時のように厳しい表情を作って言った。 「あっ、何その不満そうなカオは。僕が自分の思い通りにならないのが不服なわけ? 君 はエゴイストか?」 「…いや、そういうつもりはないが……」 「ないが何? じゃあ僕が女に見える? それとも男を欲しがっているように見える? どう?」 「いや……そうも思わないけど……」 「だったら! ――立場は同等のはずだぞ、どうして君が当然のようなカオをして僕に乗 る? 僕より背が高いからか? 色が黒いからか? 頭がいいからか? 癖っ毛だからか ?」 「髪は関係ないだろう」 わめ 「くそー、莫迦にしてる! “そんなこと喚いたってどうせ女役は君だよ?”って余裕の 笑みが語ってる! ちくしょう――勝負しろっ!」 「――は?」 「そうだ、勝負しよう、男同士の真剣勝負! 負けた方が素直に勝った方の言うこと利く んだ、それなら文句ないだろう?」 「いや、ないけど……」 流石にこんな色気のない会話を長々としていたものだから僕も彼もすっかり萎えてしま っている。恐らくそれ程の性欲ももう感じてはいないだろう。なのにこれから勝負をして まで性交をしなければならない理由があるのか――? まぁ彼がやりたいと言うなら僕は 付き合う覚悟だが。 くじび 「――で? 石岡君、勝負って何。籤引きか? ジャンケンか?」 「それは勝負じゃない! 僕は運の強さを競いたいんじゃない、能力の高さを競いたいん だ!」 「あー…はいはい、解った解った」 意外に頑固と言うか子供っぽいと言うか―― 「あ、じゃあ合理的にこうしないか石岡君。先に自分のを勃たせた方が勝ち、相手を自由 にしてもいい」 「――…へっ?」 「何変な声出してんの、だって手間は省けるし能力と技巧をまとめて競えるしおまけに男 らしい勝負内容じゃないか。少なくとも、女性には出来ない」 「…あっ、ああ……そうか…――そうだね、…いいよ、解った」 僕の提案に彼は何とも形容し難い複雑な表情を見せた。戸惑い、本当はそんなことはし たくないと思いながらも、きっと断わることを男らしくないと判断した――感情の動きと してはこんなところなのだろう。 しかし残念だが石岡君、この勝負内容を承諾した時点で君にはもう九割近くの負けが決 なに 定している。だってこれから何かを想像しなければならない君と目の前で想像の対象が全 裸で自慰に耽っている様を見られる僕――これはもう幼稚園児が水泳のオリンピック選手 にじゅうごメートル と二十五mプールで競泳するようなものだ。彼の勝利は望めない。 本当に、時間のかからぬ勝負だった。一応僕に背を向け必死に努力をしていたようだが、 あせ 緊張や焦りの為かどうにも巧くいかないらしい。最後の辺りには「ああ〜……嘘、何で〜 ?」と涙混じりの声で呟いていた。そもそも無謀だよ石岡君、君みたいなナイーヴな男が 人前で自慰など出来るはずがない。 一方僕の方はというともう楽なものだった。彼が背を向けてくれたお陰でこっちは後ろ 姿を見放題だったし、そこそこ肝心な部分だけを隠されているせいか逆に想像力が逞しく なってゆく。おまけに時折掠れ気味な溜め息は聴こえてくるといった具合で、僕は彼にお 礼が言いたい程に機嫌が良くなっていた。――あまり羞恥心も感じないタイプだし。 くや 薄闇の中、「見れば解ると思うけど僕の勝ち?」と声をかけると彼は心底口惜しそうな 目でこちらを睨み付けてきた。ベッドの隅に押しやられていた夏蒲団を掛けシーツの中央 に横たわる。 「あぁもうちくしょーどーでもいいよ! こんなことはもうこれっきりだからな! さっ さとやれ!!」 わめ 真夜中だというのに酷く乱暴な大声で彼は僕に喚いた。窓が閉まっていて良かった…… のちのち 表に聞こえていたら後々のフォローが大変だったところだ。 「余計なことはしなくていい、別に恋人同士じゃないんだからな、あと気を遣って色々す る必要も一切ない、でも痛くしたら後で復讐させて貰う」 「あれ? 勝った方は相手を好きにしていいんじゃなかったの?」 「いいって言ったけど――常識範囲内でだぞ!? SM関係は絶対にお断わりだ」 「興味ないよ、そんなことは。僕は変態じゃない」 なに 「僕に何かしようとしている時点でもう御立派な変態君だよ、君は。……あぁもう信じら れない、読者にも顔向け出来ないよ、こんな……これから出す本に君のこと何て書けばい いんだよ……」 「“女性読者の皆さん、ごめんなさい。僕はとうとう御手洗君と肉体関係を結んでしまい ました”」 「なっ…!」 「――なーんて書くわけにはいかないだろう? ならどうもこうもない、別に今まで通り で構わないじゃないか。そもそも今までだって、自分の身に起きたこと全てを文字にして きたわけじゃないだろうに」 「それはまぁ、そうだけど――……っ、ぁっ……」 「さ、もう色気のない会話はやめにして。…さっさとやらせて貰うよ、いつまでもお互い 裸でぼおっとしていたら風邪でもひいてしまいそうだからね」 「…――く、…んンっ……」 わず うちもも しめ 僕は僅かに身体をずらすと彼の鎖骨へ舌を這わせ右の内腿をするすると撫で上げた。湿 った陰部を指先でなぞりペニスをそっと握り込む。 「…痛い……?」 「…気持ち悪い……」 「あはっ…」 ――まぁ、正直な感想はそんなところなのだろう。 「これから後ろほぐすから……どうしても辛くなったら、言って」 「辛い」 「――まだ触ってないだろ」 「だって、何て言うか、凄く……怖いんだよ…」 「キスしてあげようか?」 「やだ。それ……もっと厭……そんなことされるぐらいなら、まだやられちゃった方がマ シ……」 「――あ、そう」 言うと同時に僕は双眸を細めた。彼の秘部をじっと覗くと、唾液で濡らした人差し指を う 第一関節まで一気に埋める。 「〜〜…いっ!! …たたたたたっ、痛い痛い痛い…!」 叫びながら彼は全身に力を込め、ついでに僕の肩を二〜三度強く蹴り飛ばした。ベッド のスプリングを軋ませ苦痛に耐え切れないとばかりに暴れてくれる。 「ちょっ――痛いのはこっちだよ石岡君、身体の力を抜きたまえ、僕の指が千切れる」 「いきなりそんな高等技術が出来るか!」 「高等技術?」 「…って言うか、とりあえずっ……指、…抜いて…っ……」 「だから抜けないんだってば、君がぎっちり咥え込んでるから」 「厭な表現すんなっ! …あ、あれ? …力……抜けないっ…」 「……仕方ないなぁ」 ゆび 僕は片手で彼の全身を押さえ込むと下腹部の辺りをすると舐め上げ体内にある指先を曲 げた。白い爪先がびくりと震え、甘えたような吐息が洩れる。 ふと見ると、彼の性器は酷く中途半端な状態で放置され薄く精液だけを滲ませていた。 ――恐怖と快感の間を彷徨っているという感じだ、何だか可哀相になってくる。 ねじ しご 華奢な下身を横へと捻り陽茎を扱きながら彼の蜜を後孔に塗り込めていると、苦しげな だんせい じょうほう 男声が上方から響いた。 「ね、…こんなのが本当に気持ちいい人なんて…っ、――…いるのかな…っ?」 「さぁ、それはこちらが君に訊きたい質問だがね……一応勃ってはいるようだけど、気持 ちが良くはないのかい……?」 「そりゃ、前はそれなりに…――でもやっぱり後ろの方は……変、だよ……痛くはないけ なん ど…何か……」 「ははっ、まぁ痛くはないだろう、まだ表面を撫でているだけなんだから」 「…あっ、は……ね、そんなとこ触ってて……厭じゃ、ないの……?」 「――…厭じゃ、ないよ……」 「…はぁっ、…ははっ……変な奴……」 彼の掠れた声を聴きながら僕は左手で目の前の筋肉をほぐし自らの下身へも右手を延ば す。――…ああ、これは本当に――結構、辛い…… 「…ね、御手洗……僕はもう、痛くても覚悟したからさ……」 「…う、ん……」 なん 「思い切って、やっちゃって……いい、よ……何か、気の毒になってきたって言うか、ね ……」 「――…うん……」 さっき 「……? …ね、何で君、先刻から具合悪そうな声、出してんの……?」 「…どうしてだろう、…ねっ…――」 僕は上体をすっと起こすと“自分の下身を拡げていた”手の指を思い切って引き抜いた。 先程まで続けていた手淫により彼の性器も充分な硬度を保っている。今ならやれるはずだ ――多分。 僕は彼に足を向け横になると意を決して叫んだ。 「――石岡君、今なら出来る! 君のを僕に挿れてくれ!」 「――――…はあっ!?」 「僕には覚悟が出来た、準備も自分で勝手にした! 君はやるだけでいいんだ、遠慮はい らない!」 なん 「いや、だって僕は勝負に負けたし、遠慮って言うか…――なっ、何か解んないけど多分 これ根本的に間違ってる!!」 さっき 「先刻は“僕が君をやってやる”って言ってたじゃないか!」 「それは“やられるぐらいならやった方がマシ”だと言っただけだ、別に君をどうこうし たいと言ったわけじゃない!」 「だからその権利を君に譲ると言ってるんだ!」 「何だよそりゃ、憐れみか!? ――いいよっ、ここで引き下がっちゃそれこそ男らしくな い! 君だってやれるだろ、君がこっちに挿れろ!」 「君は僕のを受け入れられないから無理だ、絶対に怪我をする、やめた方がいい」 「何っ、それは僕のなら君が平気で受け入れられるという意味か!? もしかして喧嘩売っ てる!?」 「今はサイズの話をしているんじゃない、受け入れる体勢がこちらは整っていると言って るんだ!」 「別に血を見ても裂けてももういい! 男なら思い切ってやれ!」 「勝負に勝ったのは僕だ! こっちの要求を呑めよ!」 「その勝負で争っていた行為自体を放棄することは認めない! そんな要求呑めるか!」 ああ、どうしてこんなことで真剣に口論しなくちゃならないんだろう、僕達は一体何を しているんだ? 恐らくは、彼の方もこちらと同様の感想を抱いていたに違いない。 自然とベッドの上に身体を起こし向かい合っていた二人は、はあはあと息を乱しながら も互いを軽く睨み付ける。そこで意地になっているらしい彼が勢いとばかりにとんでもな いことを言い出した。 「いいよ、もうこうなったら自分で達くから」 「何?」 「そしたら君に挿れるもんなくなるだろ? …あっは、はははははっ……」 自分の男性器を握りながら彼は不敵な微笑を僕に向けて放つ。う〜ん、負けず嫌いと言 うか何と言うか、本当は物凄く怖いくせに……困った人だな。 「――ああ、解ったよ石岡君、君がそういうつもりなら」 僕はトン! と彼の肩を押し華奢な身体をシーツに沈めると素早くチェストの中から大 きなハンカチとギターの弦を取り出した。力ずくで彼の目元をハンカチで覆い縛ると、つ くく つ いでに抵抗を示す両腕も身体の後方で括り付ける。……おや、これはこれで興味深い光景 だな。 なん 「――おいっ、何のつもりだ!? こういうのは駄目だって言っただろ!?」 「あぁごめん、つい――大丈夫、すぐに外してあげるから。ただ僕は君に話を聞いて貰い たかっただけだ、言いたいことを言い終わったら目隠しもちゃんと外すよ」 「どうせ外すんだったら今外せよ! 大体お前は――…」 「――石岡君」 「えっ、……な、何……?」 僕は壁際に追い詰めた彼のペニスをくっと握ると低い声色で呼びかけた。向こうもこち らの真剣な様子を気配で察したか続けていた抵抗をぴたりとやめる。僕はギターの弦をも う一本チェストから取り出すと彼の陽茎の根元にそれをくるくると巻き付けた。軽く力を 入れ裏で結ぶ。 「――…ぁっ、ちょっと……厭だよ、何……」 「辛い?」 「冗談やめろよ、これじゃあ…」 「達けないねぇ?」 「何でこんな意地悪――…なぁ、何考えてるんだよ、お前…」 「――また言った」 「え?」 ハンカチの目隠しを外すと僕は彼の目を真っ向から見つめ直した。にこりともせずに言 葉を放つ。 「“お前”“あいつ”――“御手洗”」 「…っ、…だけど、それは……」 「君は忘れているだろう、自分の方が僕より年下なのだということを。ここが日本の高校 の体育館だとしたら君はとんでもなく度胸のある後輩だよね」 「なっ、何でそんなこと、今頃……君はそんなこと気にしない男――…人だと、思ってた のに……」 「――いや、気にはしちゃいないんだけどね、それにしても君は口が悪い人だなぁと思っ て。挙句の果てに――蹴りまでくれた」 「…………」 「兄弟だったら君の方が弟なんだよねぇ…――考えたことある? 僕との年齢差」 「…いや、あんまり……」 「おや、どうしたの、大人しくなっちゃって」 「――…ごめん…なさい……」 りゅうび 彼はどこかしら覇気のない様子で呟くと柳眉を寄せて項垂れた。反省しつつも不本意、 もの あした という感じが全身から滲み出している。今日はまた随分と面白い光景の見れる日だ。明日 辺りが僕の寿命なのかも知れない。 じゅうめん 苦虫を咬み潰しているような彼の渋面に耐えきれずとうとう僕は噴き出した。 「あっははははは、やめてくれよ気持ち悪い! 嘘嘘、ちょっと意地悪がしたくなっただ はな づら けだよ、今まで通りにしといてくれ、こっちが話し辛くなる!」 ほど しみじみ 僕は大声を上げて笑うと彼の手を縛っている糸に手を掛けた。解きながら沁々言う。 「いいんだよ石岡君、これで僕達はバランスが取れてるんだ。だって表面に出ている言葉 がどうであれ君はやっぱり優しい人だし、僕はこの通りの我儘者だからね……」 「御手洗……」 「――だから。もうこれ以上の口論は無駄だよ。だって僕と君なんだもの。何をどう言っ たって結局は僕の我儘を君が受け入れてくれる――そういう図式が成り立っちゃってるん だ。もう一度言うけど、こんな口論結局は時間の無駄なんだよ」 「我儘って…――」 「そう、僕は本心から君にやって欲しいと思ってる。本気なんだ、だから――…頼むよ… …」 彼はようやくその気を起こしたようだった。多分気が付いてはいると思うが、思い切り 真剣にこんな会話を繰り広げている僕等は二人共かなりの大莫迦者だ。 僕は彼の性器を縛っていた糸をゆっくりと外すと、自分は頭の下に敷いたクッションに 後ろ手を掛けさっさと横になった。酷く緊張した面持ちで初めて彼が僕の両脚を割る。周 囲が暗くて良かった、というのはお互いに共通した感想だったろう。 彼の細い指が僕の陰部に絡み付き、ぬるぬるとした精液が入口の辺りに塗り込められる 気配がした。この先がどうなってしまうのか――正直、僕にも解らない。 不安の滲む眸の色で、彼は僕の双眸を見つめた。 「知識が浅いんだ、だから――…自信は、全くないけど」 「いや……何をどうしたって構わないよ、ただ――」 「ただ……?」 「――僕を最愛の恋人だと思って扱ってくれ。そしたら、多分……間違いないよ」 「……ああ、うん……成程ね……」 彼はどこか安心したような表情でふっと微笑うと僕の髪をくしゃりと撫でる。両の瞼を 深く閉じると口元にだけ笑みを残し、言った。 か 「極シンプル且つ解り易い説明で助かったよ――もし僕が厭なことしてたら、止めてよね」 「――OK」 すると彼は小さく音を立て僕の頬に口吻けを落とし、ゆっくりと上体を起こしながらク あと ッと短く喉を鳴らす。優しい手付きで入口をなぞった後、確かめるような動きで細い指が 侵入してきた。 「……もうほとんど出来ることも、残っていないみたいだね……」 何やら余裕で笑っているな、と思っていると。 突然全身を刺し抜かれたような痛みと内臓を圧迫されるような衝撃、そして下身が重く 怠いような痺れとが一気に身の内に魘いかかってくる。思わず短い悲鳴を上げた。これは 想像以上に――キツイ。相手が彼でなければ到底受け入れられない行為だ。ああ、どうに かこの痛みが和らぐ方法ってないのかな――強く唇を咬み直した瞬間だった。 「――ありがとう」 ――…えっ……? 「意地になってごめん……何でこんなことにって、思ってるよね……でもおかしな話だけ ど、こんなことでも君の優しさなんだろうなって、思ったから……」 「――――く…っ…」 「…苦しく、ない……?」 「…あぁ……」 さっき 先刻の“ありがとう”に驚いて身体中の力は一気に抜け落ちてしまった。 「…動いて、大丈夫……?」 「大、…丈夫…――」 ま 返事を返すと、数拍の間を置き彼が腰を使い始めた。ギシギシと響くベッドが感情を昂 ぶらせ、肌からは汗が噴き出す。ああ、何だかこんな現実が信じられない――眸を閉じる めまい と、瞼の裏に広大な星空が見える。気を失いそうな眩暈がする。 「どこかいい場所があったら、言って欲しいんだけど……」 「――…左……」 「…左?」 「…嘘、上の方……」 「えっ、何だよ、どっちだよ?」 せ あ 彼を揶揄い力無く笑っていると、次第にじわじわと快感が迫り上がってきた。これはち ょっと、何と言うか――…まずいな、気を赦すと変な声を出してしまいそうだ。 「――気にしないで、動いて…っ」 ほお 彼に向かってそう言うと、僕はベッドの脇に落ちていたハンカチを丸めて口の中へと放 こ り込む。 「…えっ、何だ!? 苦しいのか?」 「――…っんん、ん…――」 ぶんぶんと思い切り首を振る。ああ情けない、余裕がない。 しかしそれは、僕を貫いている彼の方も同じだったようだ。 「御手洗君、君――…こんなことまで巧いんだね……ンっ、いいよ、凄く……」 「…………」 ――何だか複雑な気分だ。僕の方では別に何もしていないつもりなのに。 「…ぁ…は、っ…ごめん、僕もう駄目かも知れない…――…達けそうだったら、…達って よね…っ」 言いながら彼は僕の亀頭を親指でくっと押した。ああもう耐えられない――眸をより一 こうせい 層強く閉ざしながら彼の腹に向け精を放つ。ハンカチを口に咥えていなければ恐らく後世 まで笑える姿を曝していたところだ。 続いて数秒遅れで彼も達したようだった。体内では流石にまずいと思ったのか素早く僕 から抜け出ると自らの手で性器を締め付け思いを遂げる。 彼は息を整えながら仰臥している僕の口を解放すると、くしゃりと癖の強い髪を掻き上 かお げ心底心配そうな表情でこう言った。 「……ごめん、ね……」 僕の顔を斜め上から覗き込んでくる男が、何故だか異様に恰好良く思える。あの時出逢 ったのがこの人で――本当に、良かった。 「“素敵だったわ和己サン、貴方のような恋人がいて、私は世界一の幸せ者よ”……」 声色を変えるでもなくそう呟くと、彼は冗談と察したか身を乗り出してくすりと笑った。 「僕の方こそ、だよ。――…ありがとう」 優しい言葉は優しい愛撫へと姿を変え僕の唇に塞がれる。 最後のキスは酷く短く軽いものだったが、今までのどんな行為よりも僕に幸せな余韻を、 与えてくれた。 ********** 「…ってなわけで。どうしようか」 「何が」 「……やっちゃったよ……」 「――やっちゃったね」 よご 僕は汚れたシーツの上に裸身を横たえたまま悪戯っぽく彼に答える。彼は壁に脱力しき った背中を預け、ベッドの上に両足を投げ出しながらぽつぽつと言葉を発した。 「…ね、変なこと訊くようだけど、さ……」 「――…うん?」 「辛…かった?」 「んんー……“結構”?」 「…痛かった……?」 「……“かなり”?」 「気持ち……良かった……?」 「――…“まあ、ね”」 「う〜ん……」 うな 彼は考え込むかのように唸ると“まあ、ね”か……と言い嘆息した。しかしそんなもの は方便に決まっている、本当にその程度の快感ならばハンカチまで持ち出しはしないだろ う。 僕は困ったように一笑すると、暗い天井を見つめて言った。 「でも――“嬉しかった”…よ」 「…えっ?」 じゃ あ さいちゅう 「実は泥酔した君と戯れ合っている最中に気が付いたんだが、僕は君とこういうことがし たかったらしい。つまり君のことが好き、って言うかね……」 流石に顔を見る勇気はなかったので真っ直ぐに天井だけを見上げながら言葉を吐き出す。 どんなに鈍い人間でも、この状況ならば告白の意味を正確に理解してくれると思うが―― 「――――…はァ!?」 あと 暫しの沈黙の後、彼は間の抜けた声を上げた。心底驚いたような口調で言う。 「ちょっと待ってくれよ御手洗君、それって君……僕にやられたいと思ってた、ってこと ……?」 ――…ああ、石岡君、着眼点はそこじゃないよ――思わず脱力してしまう。 「…いや、重要なのはそっちじゃなくて――僕は君のことが好きなんだってことだよ。… 他の人とだったらね、例えどんなに可愛い犬と遊ばせてくれると言われても、こんなこと はしない」 ま すると彼はまた暫しの間を置き小さな声で言った。 「…こんな時に……悪趣味な冗談よせよ? …本気、なのか?」 「…冗談だったら良かったけどね。本気、みたいだよ」 「まさかまたこういうことしたいと、思ってる……?」 「思っていないと言えば嘘になる」 「あぁ、ちょっと待ってよ……どうしよう」 「あーあ、フラれちゃった」 おど 彼を困らせない為に軽く戯けて言ってはみたが、内心では結構落ち込んでいた。成程― みんな ―俗に言う“友人への告白”とやらを皆が恐れるのはこの為か。今の一言で友情は持続出 来ても同居生活は持続出来なくなったかも知れない、いや――もしかしたら同居生活は持 続出来ても、友情は持続出来なくなったかも知れない――? どちらも厭だ、と心の内で呟いていると。 「――友達じゃなくなるのは、厭だな……」 わず 彼が思わず、といった物言いでそんな言葉を口にする。僕はその真意を考え僅かに眉根 を寄せた。つまり“友人でいたいから愛情には応えられない”という意味か? なに 「……解らない。ごめん、まだ何かの冗談みたいで……何をどう考えればいいのか、解ら なくて……」 「……うん」 いのち 「君が僕にとって特別な人なのは確かなんだ。生命の、恩人だし…」 「――それは関係ない。その条件は……外して、考えて……」 「――外しても。あの時のことを外して考えても……やっぱり、君のいない人生なんて僕 には思い描けない。…あぁ、どうしよう、凄くムカつく奴なのに……いつの間にか君は僕 の世界の中心になっていたんだね……」 「――“どうしよう”“凄くムカつく奴”なのか……」 「こんな生活を……こんな行為を受け入れておいて今更君を拒むというのも却って不自然 な気がする……」 「ああ。“でも”――」 「……でも、……」 「“愛してはいない”」 「…――――」 「成程――そこが君と僕との決定的な差だというわけだ。…難しい問題だね」 僕は双眸を閉じ重い腰を庇いながら上体を起こしてみる。直角に向き合うような恰好に なったので反応を多少恐れたが、特別彼は僕から目を逸らしたり顔を背けたりはしなかっ た。とりあえずは“良かった”――そう思っておいていいのだろうか。 「…ま、いいさ。君の返事がyesでもnoでも僕の気持ちは変わらない。だったら別に ……結論を急ぐ必要もないよね」 「…ごめん……」 「はいはい。…ふっ、…あっははははは…っ…」 「――え? …な、何……?」 「いや、ちょっと――おかしかったものだから。君とこんな風にこんな話をするなんて、 ほんの数時間前までは想像もしてなかったっていうのに――そう考えると、何だか……ね」 「あはっ、それを言うなら僕だって……数分前までは君にそんなことを言われるなんて夢 にも思ってなかったよ」 さいちゅう 「ねえ、やってる最中――何考えてたの?」 あした なに 「え? …う〜んとねぇ……明日の昼食何にしようかなぁ、って」 「酷いな」 「久し振りにピザでも食べたいなぁって」 「あはは、嘘吐き。そんな余裕なかったくせに」 はなし なに 「こんな話してたら本当に腹減ってきた……ね、何か食べようか」 なに 「う〜ん、言われてみると……何か食べたいような気もするけど……」 「何食べたい?」 「石岡君」 「…冗談じゃなくて」 「シンプルなものの方がいい。…お茶漬けとか」 「ああー…そうかも。うん、そんな感じだ今。…作る方もシンプルな方が嬉しいしね」 「あれ、今日は自主的に僕の分も作ってくれるのかい? いつになく優しいじゃないか」 「何言ってんだ、僕はいつだって君には甘い男だよ。――ほら、そろそろズボンぐらいは キッチン 履いて。厨房まで歩けるかい?」 「歩けないって言ったら抱いて連れてってくれるわけ?」 「引き摺って連れていってやるよ」 「優しい男だな」 「よくそう言われるよ」 彼は軽口を叩きながら僕に衣服をいくつか手渡し、自分もきっちりと身形を整えた。ま と ぁいいか――今は、このままで。当分は誰に奪られるわけでもないだろうし。そしていつ かは――… なに 「えっ? 御手洗、何か言った?」 「――いや、別に?」 いつかは――僕が彼を優しく愛してあげられる日が来るといいな。もっと余裕のある立 場から。その時は勿論“ちょっと風変わりな親友兼恋人同士”として。 「“プレシャス・ブルー・ヴァイオレット”――そんな名前だったかな、確か」 一足先に部屋を出た彼の残した余韻に浸り、僕は一言呟いた。この僕を深く酔わせた酒。 とても危うくて、甘美な夢を見せる――ロマンチックな夜の色をした魔性の催淫剤。 でももう二度と口にすることはないだろうな……だって彼とは、百パーセントの状態で 向かい合いたいと思うから。 なん 今度は何の力も借りず、何も言い訳にせず優しい愛を歌うとするか。 わず ジーパンだけを身に着けた恰好のまま窓のカーテンをさっと開くと、朝の気配を僅かに あおむらさきいろ 滲ませた青紫色の光が部屋に充ちる。 つ いと ドア 僕は苦笑しながら切ない溜め息を吐くと、愛しい友人と差し向かいになる為、自室の扉 を閉め切った。 |
酒の勢いネタ第二段――…って、またマジんなっちゃいましたか、御手洗さん! (何でそんなに石岡君が好きなんだ、アンタは……:苦笑) これは裏パロでコメディが書きたかったのか“石×御”が書きたかったのか、 何なのか……(憶えとけよ!!)。 って言うかコメディなのかすら怪しいし。 面白くないのに長いし(泣)。 |