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【 ≪異邦の騎士≫のネタバレを含みます 】 ‖ 上記注意書きに危険を感じられた方はこちらからお戻り下さい ‖ |
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EXTRA STAGE 003-1 / TYPE-S LINK リンク |
――君とはこうなる予感があったんだ。初めて、出逢った時から…… 寝室のベッドの中でぽつりとそう呟くと、彼は白いワイシャツを脱ぎ捨てながら艶然と えみ した微笑を零した。 「またそんな。嘘ばっかり」 「本当さ。ねぇ君は――一目惚れって、信じるかい?」 らしくない科白を口走るようになったものだと我が身の内で苦笑しつつも、彼をベッド あか へ誘い僕は訊ねる。すると彼は形容の難しい複雑な表情になり心持ち頬の色を朱くした。 …やはり僕には不似合いな質問だったのだろう。 だが彼は照れたように視線を逸らし僕に肯定の返事をくれた。 「……信じる、よ……」 ――嬉しかった。改めて確認するまでもなくそれは彼女のことなのだろうが、それでも け 彼がそうした種類の愛情を理解しているのだという事実は僕の心に決して少なくはない幸 福を与えてくれる。この感覚が解るということは即ち、僕の言葉も彼には信用して貰える のだということになるからだ。 僕は鼻先を天に向け両手を頭部へ回したまま生まれて初めての告白をした。つい最近ま まちゆ ではとても信じることの出来なかった情動、街行く人々が夢のように語り伝える、甘く切 ない恋のことを。 「僕は君に一目惚れをしたんだ。――尤もそうと気が付くまでには、いくらか時間もかか ったけどね。あの時は自分でも自分の心がよく見えていなかった。でも、不思議で仕方な ば ま かったんだよ……何故君を見た瞬間全身に緊張が走ったのか、砂糖を散ら撒いてしまった のか、友人に――……なりたいと思ったのか。 君と出逢ったことによって僕は俗に言う“愛情”というものの正体を知った。…ま、気 障な科白と承知で言うなら僕は君にノックアウトを喰らわされちゃったってわけだ。…今 も喰らい続けてるんだけどね」 言うと、彼は信じ難いものを見るかのような目付きできょとんとこちらを見つめ返す。 「――…本当、それ?」 「――勿論。…僕はベッドの中では君に嘘を吐かないよ」 「でも……こんなことを言うのも何だけど、一目惚れなんていうのは特に外見が大きく左 右するものなんじゃないか? 俺君に初めて逢った時、物凄くボロボロだったと思うんだ けど――…だから君が感じたのは、もしかしたら…」 「――“同情だったんじゃないか?”」 「……うん……」 「それはまあ、ね……可能性を完全に否定してしまうことは出来ないかも知れないが―― …」 「……っ…」 わず 呟くと、僕はすっと上体を起こし彼の身体を組み敷いた。僅かに緊張の走る双眸を真っ 向から捕らえ見つめ、真摯な口調を降り注ぐ。 ましこくん おど 「益子君、単なる“同情”ならば絶対に、誰に嚇されたって僕はこんな真似は、しない… …」 「ン、……んん…っ…――…は、っ…」 「舌、出してよ……ほら……」 こうちゅう 僕は穏やかに囁くと彼の口中に舌を含ませ優しく右の頬を撫で上げた。ゆっくりと味わ うように柔らかな唇を吸いながら両手を肌へと滑らせる。左の突起を指で弄ると重ねた吐 息が幽かに震えた。声を聴きたくて離した唇を右胸へ移動させ同時に攻める。口内で快感 に勃ち上がる乳首を執拗に舌で転がす。 「…うっ、ん…――――」 「声……聴かせてくれないの……?」 「……っン、ぁ…っ、あぁっ…ん……」 「あぁ、いいよ……ゾクゾクする……」 僕はそう呟くと唇をすっと滑らせ彼の素肌に口吻けた。鎖骨に、肩に、脇腹に、腹部に、 うちもも そして――顕著な反応を示している生殖器をわざと無視して――硬く張り詰めている内腿 へ。次々と舌を這わせていく。歯や唇で鬱血の痕を残すわけにはいかないのだ。彼には、 夫の帰りを待っている相愛の妻がいるのだから。 自分の立場を再認すると同時、この身体を愛せる者が他にも存在するのだという現実に 僕は底知れぬ厭悪を感じた。解ってはいるのだけれど――彼が僕よりも彼女を愛している ということは、こうした関係を受け入れた瞬間から覚悟もしていたはずなのだけど―― 「ん、っ、ふ……――ぁっ、あぁ…っ……」 僕は痕を残さぬように、傷を付けぬようにと彼の全身を愛撫しながら淫らな喘ぎに溺れ 続けた。いつ、どちらから何をきっかけとしてこうした関係になってしまったのか――も うはっきりとは思い出せもしないのだが。 いつの間にか、彼は毎日綱島へと通ってくるようになった。僕はそんな彼を笑顔で迎え、 お気に入りの音楽で室内を充たし、意向が合えばセックスをする。 当然彼女はここへ日参する理由を訝しんでいる様子だが、何のことはない、彼は僕と寝 たくてこの部屋を訪れるのだ。 しかしそれは愛情故ではない。ないと……思う。彼は僕との行為に特別な意味を認めて いない。 ただ彼は―― 「もっと声、上げていいよ……」 「ぅ、ぁっ……あぁ……」 「今日は占いの客も、来ないから……」 「――……ん、ぅん……うんうん…――あ、っは…」 「気持ちがいいのかい? ここ……」 「うん……そこ、軽く咬んで……」 「――痕が付く」 「いいよ……仕事中にぶつけたことに、っ……しとくから…――」 そけいぶ なん 「鼠蹊部を? 君一体何の仕事してるんだよ……」 「適当にごまかすから、早く……――ぁ、厭……」 「自分でやれって言ったくせに……困った人だね」 「厭、厭だ……見ないで、くれ……」 「ははっ、無理なこと…言うなよ……」 僕は小さく笑いながら彼の感じる場所を次々と刺激していった。そう、ただ彼は―― 「あぁっ! はあっ、あぁ…っ……」 ――自分の正体が解らぬ不安を誰かにぶつけてしまいたいだけなのだ。彼女には弱味を 見せたくないから、家庭に哀しみを蔓延させたくはないから彼はそれを外で吐き出そうと している。ならばそれは僕でなくても構わないということなのだろう――多分。ただ彼は、 自分を受け入れてくれる者の中で静かに狂いたいだけなのだ。 僕はギシギシと軋むベッドの上で切ない嬌声を聴きながら彼の肛門に潤滑剤を塗り込め る。無論僕の陽茎を彼の体内に挿れる為の行為だ。本来これは僕の非望ではないのだが、 彼はこの先からが一番解放的な姿を見せる。求められるのだから仕方がないと僕は慣れた 手付きで眼前の筋肉をほぐし始めた。快楽に馴染んだ身体は卑しくも簡単に僕の指を呑み 込んでゆく。 彼は熱を帯びた視線でこちらの様子を見守りながら僕の侵入を待ち侘びていた。大きく 脚を割り拡げ自らの両手で大腿を押さえる。 「――来てよ、もう……いいから、裂けても……」 「……いいわけないだろう。彼女に不審に思われても、いいのか……?」 「…何とかするよ、ごまかすから、早く……」 「……どうやってごまかすつもりだよ、全く……」 ひと じ が 人目には穏やかな印象の目立つ男だが焦れると途端に我の強さを発揮する。“目先の色 おびや わら 事に溺れて平穏な生活を脅かすのは莫迦のすることだ”と以前の僕なら嘲笑ったはずだが、 この感覚を知った今なら彼の心情も少しは解る気がするのだった。 う 僕は情欲に硬く勃ち上がったそれを彼の体内へ埋め腰を使う。粘膜の立てる音が厭らし く耳に響く。彼はシーツを強く握ると、声が枯れるのではないかと思う程の大声で叫び始 めた。僕に向け身体を投げ出し、脚を大きく拡げながらもベッドを揺らし暴れ始める。 いつものことだった。だから僕は……身体に情事の痕を残さぬように、傷を付けてしま わぬように、彼に“叫ぶ理由”を与えてやらなければならない。 こんな自分を莫迦だと思う。滑稽だと思う。それでも――“それを僕に求めた惨酷な彼” でも抱きたいと思ってしまう程――僕は彼のことが好きなのだ。 「あああああ――ッ! あっ、あぁん、…は、っ……はあっ…!」 「いいよ、もっと……叫んで」 みたらい 「…あァ――!! あぁ、っ……あ…――怖い…御手洗……やだ、…怖いっ……」 「――…大丈夫だよ、ここにいるから」 「怖い怖い怖い――…ぁ、っ……怖いよ、助けて、誰か……」 「――愛してるよ、益子君……」 「厭、厭ぁっ、御手洗、御手洗…っ――」 「大丈夫だ、僕が助けてあげるから……」 「…んっ、ンン、…――――っ、…ぁ…」 ち はじ 深く繋がったままで上体を伸ばし舌を吸うと、彼はとうとう大粒の涙を散らし始めた。 こす 自らの手で性器を擦り、哀願するように訴える。 「もっと来て、もっと深く……あっ、ああん、気持ち…いい……あぁ、死ぬ、っ……はぁ っ、あッ…!」 こえ 「あぁ……好きだよ、君の艶声……もっと聴かせて、もっと…鳴いて…――」 「…ぁ……駄目だ、そんな…とこ……――舐めないでくれ…っ…――ああ!」 「愛してる、…益子君、愛してる……」 「あぁ俺も、っ……好き、だよ……好きだよ好きだよ好きだよ……っ、――…んっ…」 気分を高める為なのだろうか、この時ばかりは彼もよく嘘を言った。解っているのに、 言葉だけで何度も繰り返し勃起する愚かな僕。 よごれ もうとうの昔に二人共射精していた。当然シーツも素肌も互いの体液でどろどろに汚れ ている。どちらがどのタイミングでどう達ったのか、いつも確認し合うことは出来ないの だった。僕達のセックスは尋常じゃない。……多分、精神状態がまともではないのだ。 疲れるまで互いの獣欲をぶつけ合い、意識を飛ばし、覚醒と共に友達の顔へと戻る。暗 黙の誓いがそこにはあった。 僕は挿入を果たしたまま彼の上体を抱き起こし肩口を舌で愛撫する。鎖骨、首筋へと唇 じだ を這わせ最後には耳朶に辿り着く。軽く咬むと甘く鳴き、彼は下身を締め付けた。抜け出 はな し外で放った精が、彼の顔にもいくらかかかる。 つ だ 僕は二度目の射精を終え、大きく息を吐くと彼の背を抱き乱れた髪を掻き上げた。ほぼ 同時に達したらしい、彼の性器を右手に包み僕は優しくキスをする。頬に、喉に、唇に― ―君は綺麗だと囁きながら。 しかしこの科白を口にすると決まって彼は首を振る。顔を見ないでくれ、俺の顔を…… かお わず 俺は汚いんだ、汚いんだ、汚いんだ――恐怖で表情を僅かに歪め、まるで、自分自身に言 い聞かせてでもいるかのように。 よご 涙や汗や精液塗れの、酷く汚れた顔だった。職場でのストレスもあるのだろう、目の下 は赤く腫れ、どこかしら疲弊しきったような顔をしている。 しかしそれでも僕は彼を綺麗だと思った。とても清潔な人だと、美しい人だと思った。 無論それは女性を褒める時に使うような意味ではない、何と言えばいいのか巧く表現は出 来ないのだが――とにかく、“これ程までに穢れのない表情を持つ人は見たことがない” と、彼を見る度そう思うのだ。…確かに顔形が自分の好みであるという事情はいくらか関 係しているだろうが、それを差し引いて考えたとしても。 ――彼は綺麗な人だ。この姿を自分で確認出来ないのはとても残念なことだと思う。い つか時期を見て鏡へ対する恐怖心も取り除いてやれたらいいのに――少しだけそんなこと を考えていた瞬間だった。 「痛、い……胸が、痛いっ……あぁ、苦しいよ御手洗、……もう、やだ……」 「益子君……」 「もう駄目だ……終わりなんだ、何もかも……俺は、もう……死ぬ……」 「益子君」 「思い…出せない……何も……」 悄然と呟くと、彼は諦めたように双眸を閉ざしその顔を俯けてしまった。僕の心に彼の 哀しみが直接流れ込んでくる。苦しい―― あし 僕は彼の身体をベッドに倒すと再びその両脚を割り拡げ抽送を繰り返した。彼は悲鳴を 咬み殺し、僕の背に脚を絡ませる。 「……いいよ、中で……大きくして……」 「…――…ふっ、…………っ…!」 「…は、…ぁ、感じる…っ……もっと、動いて…」 「…ん、――――」 「――…あっ、…あん……ぁ…っ……あぁ…――」 「益子君」 「僕は…っ……一体、何者なんだよ……っ? ぁ、っ……知らない……誰も俺を、知らな い……怖い、よ…――ンン! あっ、厭だ、やめて……!」 「――――」 「厭、あぁん、…っ――…御手洗……御手洗御手洗っ、あッ、…あ! はあっ! …―― ――!!」 彼はぴんと上体を仰け反らせ、僕の背に巻き付けていた脚に力を込めると甘い喘ぎを繰 り返し静かに果てた。 ――…ごめん、ね…… 呟いたきり、ふわりと意識を閉ざしてしまう。 ドア 僕は緩慢な動作でベッドを降りると素肌にジーンズのみを着け寝室の扉を開けた。習慣 ほお こ 的に流しへ向かい、湯を溜めた洗面器にタオルを二枚放り込む。それらを抱えて部屋へ戻 ると、彼は脱力しきった様子で乱れたベッドに横たわっていた。一見すると死体のように さえ見える。 僕はタオルを硬く絞ると、ベッド脇に膝を突き彼の身体を浄め始めた。少し長めの髪に 絡んだ精液を注意深く取り除く。何が残っていてもいけないのだ。どんな些細な見落とし も、今の僕には赦されない。 反応のない彼の身体を拭いながら僕は改めて考えた。 こだわ この人は一体どこから来たのだろう、正体になど拘らないが、彼がこんなに不安になる なら何とかそれを突き止めてやりたい。しかし―― もしそれが現実になったなら彼はどう行動を起こすだろう。自分の正体が解ればまず最 初に考えることは“僕との関係の清算”なのではないだろうか。彼女との生活はともかく 僕との関係は差程離し難いものでもあるまい、こうした関係を持ってしまったからこそ尚 更、彼は僕との交際を考え直すに決まっている。 ひら のち 哀しい想像に胸を痛め、薄く開いた唇にそっと口吻けを落とした後、僕はゆっくりとそ よご うちまた の裸身を転がした。二人のもので汚れた内股に濡らしたタオルを滑らせる。 横たわる身体に目立つ特徴はなかった。強いて言うなら華奢なことぐらい、少なくとも スポーツをやっていた人間ではないだろう。 当然、工場などで働いていた人間でもないと思う。今の勤めは何だか辛そうだ、体質的 にも彼はそうした肉体労働の似合う男ではない。以前から気になっていた、この右手中指 わず なに の第一関節――この僅かな歪みに何かヒントがあるのだろうか? 教師、記者、設計技師、 脚本家、画家、文筆家――…駄目だ、人間がイメージ通りの職に就いているとは限らない、 今こうしたことを考えるのはよそう。 しゅうじ 益子秀司――小さく唇の中で呟き彼を見つめる。 秀司……まぁ特別不似合いな名ではない。しかし彼を見ていると何故だかもっと相応し い名があるように感じる。いや、違う名で呼ばれていた人間であるような気がする――こ ちらの方が正解か。尤も、親は子の将来を見通し名を付けているわけではない、名など記 号に過ぎないと解ってはいるのだけれど。 そもそも―― 一九五一年の十一月十八日生まれ、これがどうにも納得がいかない。四六木星だと自分 との相性が悪くなるからそれを認めたくない、そういった事情から言うわけではなく―― 本当にあの免許証は彼のものなのか? 今の彼は、とてつもなく複雑な陰謀の道具とし けっ て利用されているに違いないのだ。免許証の存在自体が罠ではないと誰に言える? 決し て嫉妬から言うのではなく、彼女との同棲の経緯もおかしい。 ……四六木星…… 「――二黒か五黄……一白だったら良かったのに」 てんびんきゅう そして彼が初めに言ったように太陽が天秤宮だったなら――僕は、運命をも味方に出来 たのに。 一通り全身を拭き終わりつくづく莫迦莫迦しいことを考えているなと自覚した頃、ひっ ひら そりと花が咲くように彼が目醒めた。 「――…今、何時……」 ぼんやりと天井に目を向けたまま掠れた声で呟く。 「八時半前だよ、夜の」 ゆか 答えてやると、彼は気怠い表情でベッドから身体を起こし床に脱ぎ捨てられた下着とジ ーパンを拾い上げた。 「もう帰らなくちゃ」 そう口にする彼を抱き締めたくてもそれは出来ない、彼はもう僕のことを友人としてし か認めていない。 さっき つい先刻まで泣き叫び、狂い、僕の腕の中で乱れ喘いでいたはずなのに。今はもうそん な想像も赦さぬ程に普通の顔をしている。 白いワイシャツの釦を留め、彼は言った。 「…あ、そうだ。今日来た時にかけてくれたレコード、借りていってもいいかな」 「…いいよ」 気軽に返事を返しながら心の内で僕は叫ぶ。 ――駄目だよ、貸さない。持って帰っちゃ駄目だよ…… 「あぁ、今日もまた遅くなっちゃった。……怒られるかな?」 「ははっ…」 ――駄目だよ駄目だよ益子君、彼女のところへ帰っちゃ駄目だよ…… 「いつもありがとう御手洗君……色々と」 「あぁ別にそんなの。気にしなくていいよ」 ――厭だよ益子君、行かないで あした 「――じゃあ、また明日ね」 「待ってるよ」 ――行くな! …パタン… おそ 控えめな音を立て、扉は閉まった。途端に部屋中の空気が冷えてゆくような感覚に魘わ れる。彼がいなくなったという、ただそれだけのことで――今は、真夏だというのに。 生まれて初めての告白をした日。僕はその相手に激しく求められ、深く身体を繋ぎ、と ても惨めな振られ方をした。 かお ドア 疲れたような表情、ふらふらとした足取りで僕は冷たい玄関を離れる。寝室の扉を開け、 彼の裸身を支えていたベッドの上に力無く身を投げ出した。シーツの染みに鼻先を寄せる。 ――俺も好きだよ。好きだよ好きだよ好きだよ…… 不意に、追い詰められた彼の発した言葉が耳の奥に甦った。あぁ、吐き気がしそうだよ 益子君――本当はそんなこと、少しも思っていないくせに。 あした ――じゃあ、また明日ね いのち あぁ、何て惨酷な人なんだろう、僕は君の為ならこの生命さえ捨てられるのに。 本当だよ。本当に本当に、僕はいつ死んだって構わないと思える程、君のことが――好 きなんだよ。 僕はベッドに顔を伏せたまま静かに一筋の涙を流した。きっと―― 僕等はこうした関係を続けていくことになるんだと思う。例え彼女と結婚しても。もし かしたら、彼が自分の記憶を取り戻しても。 僕は彼に翻弄される。出逢ってしまったから。そしてこれは神が定めた運命なのだと思 う。抗うことなど出来ない。 ――君とはこうなる予感があったんだ。初めて、出逢った時から…… 「辛い恋に苦しむ予感がしてたんだ。初めて、出逢った時から……」 寝室のベッドの中でぽつりとそう呟くと、僕は白いシーツに残る彼の匂いに包まれただ 涙を流し続けたのだった。 まるで僕の心を写し取ったかのようにぱらぱらと雨の降り出す音が聞こえる。彼は傘を 持ってきていたのだろうか――…いや、駄目だ。僕はもう指一本動かすことは出来ない。 “彼が降らせた雨なのだから一度困る程徹底的にそぼ濡れてみればいいんだ”、そんな考 よぎ えがふと頭の中を過る。 ぼんやりと薄れてゆく意識の中で寂しげな雨の音が少しずつ強まっていくのを、感じた。 |