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【 ≪異邦の騎士≫≪数字錠≫のネタバレを含みます 】

【 ≪セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴≫のネタバレを含みます 】
【 ≪異邦の騎士≫≪数字錠≫と併せてお読み下さい 】
【 ≪ミタライ・カフェ≫≪パロサイ・ホテル≫と併せてお読み下さい 】


‖ 上記注意書きに危険を感じられた方はこちらからお戻り下さい ‖

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友情系 006-1 / TYPE-S

彩色無限の青空
さいしょくむげんのそら





      これみ
  ここまで此見よがしなタイトルを付けられていたら私でなくとも手に取ってみるだろう。
              みたらいきよし
  彼のことを知る者ならば。御手洗潔という男の存在を――絶えず、気に懸けている者な

 らば。

 『ミタライ・カフェ』

  ハインリッヒ・フォン・レーンドルフ・シュタインオルトという記者が書いたのだとい
        
 いえ
 うその本を、私は家へと持ち帰った。そして頁を開き厭な予感を現実として見せ付けられ

 た瞬間――私はじわじわと魘いかかってきた切ない苦しさに耐えきれず、声を出して、泣

 いた。





    
**********





 『シアルヴィ』『ミタライ・カフェ』と名付けられた二つの短篇の中で、御手洗潔の近況

 報告は行なわれていた。――いや、御手洗教授の近況報告、とでも言い替えた方がこの場
   
ただ
 合は相応しいだろうか。
    
いま
  彼は現在、ストックホルムでの研究に一応のけりを付け、その北部にあるウプサラとい

 う学園都市で生活をしているらしい。作中に出てくる彼は仲間に囲まれながら楽しそうに

 研究を続け、談笑している。

  独りきりの馬車道のマンションのリビングで、私は涙に濡れた頬を力無く拭った。いつ

 も彼が長い両足を組み坐っていたソファの辺りをぼんやりと眺める。気を赦すと、情けな
  
  
 くも止め処なく溢れる涙。

  この本を読んで――日本の読者は、一体何を思っただろう。御手洗が元気で暮らしてい

 ることに安心してくれただろうか、御手洗が有意義な時間を過ごしていることを喜んでく
                               
まっと
 れただろうか。私などの為にあの能力を無駄にせず――自らの使命を完うしているらしい

 現状に満足してくれただろうか。だとすれば、彼の日本での活躍を文字にしてきた紹介者

 として私も幸いに思うのだが。いや――

  …違う。“事件記述者”としての私ならばその気持ちも嘘ではないが、“御手洗潔の友
        
 けっ
 人”としての私は決してこの事態を歓迎などしていない。本心から現状を喜んでいるのな

 ら――こんなところに蹲り女々しく涙など流しているはずがないではないか。
 
  我ながら、こんな弱い自分が厭になる。私は御手洗に捨てられて当然の人間だ。

  海外での御手洗は、教授仲間や生徒達にとても人気があるらしい。これはまあ当然であ

 ろう。彼の性格は、日本より寧ろ外国にこそ相性が良いのだろうと私も常々感じていた。

  そしてハインリッヒという人物は流石記者とでも言うべきか、とても文章を綴るのが巧

 い。こうして一枚の紙を通し文字を見ているだけなのに、御手洗がウプサラ大学を颯爽と

 歩いている姿が意識をせずとも目に浮かぶ。

 「…まるで別の人みたいだね、御手洗……」
             
 ことば
  思わず口を衝いて出たこの科白こそが、実はこの本を初見した時の偽らざる感想であっ

 た。ここに登場する御手洗教授は、私の知る御手洗潔ではない。もしかしたら――これこ

 そが、彼本来の姿だったのではないだろうか。

  酷く、彼の存在が遠いものに思えた。酷く、自分の存在が無意味なものに思えた。

  御手洗――…

  すると不意にまた熱い感情が込み上げ、透明な涙が溢れ出す。

  御手洗、君にとって僕という存在は一体何だったんだろう? 今まで考えては否定し続

 けてきた辛い想像だけれど――やはり僕は君の“特別”ではなかったということなんだろ

 うか?
    
 みやたくん  みさきとうた           すどうたえこ
  そう、宮田君や三崎陶太、そしてレオナさんや須藤妙子といった配慮の必要な事件関係
         
いしかわけいすけ
 者達と同じ――僕は石川敬介という名の、“救わなければならない事件関係者の一人”に

 過ぎなかったんじゃないのか?

  涙が止まらない。ズボンの膝を握り締める。

  ごめん……御手洗、僕は君の人生の邪魔をしてしまったね。僕なんかと出逢ってしまっ

 たことが君の不運だった。僕があの時、綱島の雑居ビルを訪れたりさえしなければ――君

 は、十五年もの間僕に付き合わずに済んだのにね。

 「――――…」

  私は無言で立ち上がると、手にしていた本をそっとリビングのテーブルへ置いた。両足
   
  キッチン
 が自然と厨房へ向く。私の手は恐ろしい程静かにカップボードの扉を開いていた。途端―

 ―自分の口から洩れた乱暴な口調が、周囲の静寂を突き崩す。

 「――莫迦野郎!!」
                       
 ゆか
  私の手は次々と食器を掴み取り、それらを冷たい床の上へと叩き付けていた。目の前で

 起こる響音と異様な光景――その、現実感のない不確かさ。
           
 
 「何で助けたんだよ! 放っときゃ良かったじゃないか! 俺は助けてくれなんて言って
   
 
 りょうこ
 ない! 良子と一緒にあの時死んだって良かったんだ! なのにお前が、勝手に――…!」
                       
 
  ――違う。これは半分本心だが、正確な表現では決してない。
               
いま
 「まるで別人じゃないか、僕は現在の君なんて大っ嫌いだ! 何でそんなに優しいんだ!?

 何でそんなに親切なんだよ!? 僕にはいつだって我儘ばかり言ってたじゃないか! スイ

 カ買ってこいとか! 紅茶淹れろとか! 時間だって、ろくに守ったことなんてなかった

 くせに――!」

  ガチャン! 現実味のない音が室内に響き渡る。
                             
  

 「拾うなよ! 捨てるんだったら最初っから優しくすんなよ! 出て行くんだったら相談
                        
 ひと
 ぐらいしろよ! 帰ってこないつもりなら中途半端に僕を縛るなよ! いらないんだろ―

 ―何もかももういらないんだろう!? 日本も横浜も馬車道も、――僕も!!」
                
 わず
  右手の人差し指と中指の辺りから僅かに出血していた。しかし痛みは感じない。「ああ

 切れているな」と思うだけだ。

  唐突に、怒りが体内から消え去っていった。ただ、その代わりに例えようのない哀しみ

 が私の身体を支配してゆく。胃の辺りが酷く不快なのだ。私は硝子片の上に坐り込む。

  今までの中で一番悲痛な声が、唇から零れた。

 「どうして……――…どうして変わっちゃったんだよ、御手洗…っ……君はそんな男じゃ

 なかったじゃないか、現実に起こった殺人事件を世間話にするなんて、……そんなことは、

 絶対にしない人間だったはずだろ…っ……?」

  はっきりと言葉にした時、「ああ、これだったんだな」と実感した。そうだ――私があ

 の文章を読んで何より強く感じた違和感。不自然さ。

  彼は、私が知るどの刑事や探偵よりも“同情すべき事件関係者”への思い遣りを忘れな

 い男だった。私は友人の優れた推理能力よりも、その優しさこそを誇りとしてきたのだ。

 なのに――

  私を激しく打ちのめしていたのは、この“フィカ”を御手洗が行なっているという現実

 だった。事件記述者として、作家として生活をしている私がこんなことを言えた筋合いで
                             
 けっ
 はないと思う。けれど――彼は、私ではないのだ。御手洗潔は、決して自らの英雄譚を人

 に語って聴かせたりはしなかった。

 「どうしてだよ、御手洗……一体、どうしちゃったんだよ……?」
                           
さとみ
  その時、玄関のある方向から電話のベルが鳴り響く。“里美かも知れないな”と何気に

 そう思ったが、人と会話をする為に移動する程の気力は、私には残されていなかった。





    
**********





  何もかもがどうでもよく思えた。こんなにまでも世界を昏く冷たいものだと感じたのは、

 恐らく最愛の彼女を永遠に失ったあの夏以来であろう。
  キッチン 
  厨房に投げ散らかした食器類の破片を適当に片付け、私は馬車道のマンションを出た。

 散歩を楽しむ精神的余裕など勿論なかったが、とにかく今は御手洗の気配の残る場所にい

 たくなかったのだ。
                                     ・・・
  だが街へ出たからといって心が軽くなるわけではなかった。横浜は今や、私とあの人と
                                   
 
 だけの思い出の地ではない。私と彼との――思い出の地でもあるのだ。どこへ行こうと、

 御手洗の影は私に深く付き纏う。

  ゆっくりと長い嘆息を洩らしながら、私は宛のない独り歩きを続けていた。その時、思

 いもかけなかった人物に突然足を止められたのである。
          
  いしおか
 「――お久し振りです、石岡さん。今から御連絡して、御都合が宜しければお宅まで伺お

 うと思っていたところだったんですが……」
                       
まこと
  聞き憶え深き声にそっと背後を振り返ると、宮田誠青年が私に微笑みかけていた。





    
**********





  心の中心に、ぽっかりと大きな穴が空いているような気がした。

 「――そういえば最近、石岡さんの新作にお目にかかってないですね。パロディものを除
                     
 くつ
 けば、『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』以来かな……?」

  こうして公園のベンチに坐っていても、目の前の景色や頭の中に濃い霧がかかっている
                  
 はな
 ような気がする。宮田青年が隣で何事か話しかけてくれているのは解るが、内容は半分も

 理解出来ているかどうか。
                 
 おりのいくえ
 「あのお話、凄く好きなんですよね。折野郁恵さんのことはお気の毒でしたけど、他には
 
いのち
 生命を落とされた方もいなかったみたいだし……自分で言うのもおかしいとは思うんです

 けど、何だか……お二人の遣り取りを拝見していて、僕の時のこと、思い出したりもして

 ……」
                
 すうじじょう
  僕の時のこと? ――ああ……『数字錠』事件か。そういえば……そうか。あの事件も

 クリスマスの前後に起こったんだったな……。

 「――『ミタライ・カフェ』という御本……読みました」

 「…えっ……?」

  ふっと語調を変え発された宮田青年の科白に、私は思わず顔を上げる。隣に腰掛ける彼

 と視線を交わし、暫し、言葉を失った。

 「…あれは……」
                         
  ひざうえ
  思い通りに機能してくれない唇をゆるゆると開き、私は膝上で握った両手を眺めながら

 言う。

 「あれは、僕が書いたものじゃないよ……」

 「――解っています。だけど、まあ……手には取ってしまいますよね、あの人のことを知

 っている人だったら」

 「…………」

 「僕はね、石岡さん――『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』の御手洗さん、好き

 だったな。僕の時と同じ、やっぱり優しい人だなって思いました。僕は石岡さんの書かれ
               
いま
 る御手洗さん、大好きですよ。現在でもね」

 「――――…」
        
 ざわ 
 はじ
  私は不意に胸が騒めき始めるのを感じた。何だろう、この感覚は……今、彼に言われた
             
 なに
 言葉の中に私の心を動かす“何か”があった。彼は――…私に、何を伝えようとしている

 ……?

 「こんなことを言ったら気分を悪くされるでしょうか。でもね、石岡さん。僕は貴方に前
                  
 いほう  きし
 々から言いたいことがあって…――僕『異邦の騎士』を読んだ時に、あれ、って思ったん

 ですよ。石岡さん、貴方どことなく……僕に似てる」

 「…………?」

 「僕知りませんでした、『数字錠』事件の時は。貴方に…あんなにまでも辛い過去があっ

 ただなんて。でも御本を読んでいて、物の考え方とか、境遇とか、…体験とか。何だか…

 …僕と通じるところがあるなぁって気がして。――ほら、僕青森から出てきたでしょう?
                             
ふきたでんしょく
 
 あの事件当時。上野駅に着いた時には五百二十円しかなくって、吹田電飾に行く為に東京
                                      
 ほお
 の地図を買ったら所持金四百円になっちゃって、知り合いも頼るところもない都会に放り
 
                     きたがわ
 出されて心細い思いをしていた時に、僕は――…北川さんに、救われて。

  …ああ、勿論貴方が良子さんに抱かれている感情と僕が北川さんに抱いている感情は種

 類の違うものだけど、でも、その人を傷付けた人間が赦せなくて、結局……取り返しの付

 かないことをしでかしてしまった。

  本当に……これは些細なことなんですけど、僕『異邦の騎士』を見て、何だか石岡さん
                
 かた
 って僕と同じような経験をされてる方なんだなって思ったんです。そういえば厭な上司に

 お酒の席で絡まれたりも、貴方、してましたしね。尤も……僕はあそこで喧嘩をする勇気

 がなかったから、あんな大変なことになってしまったんですけど……」

 「あはっ……でも僕だって、あの時は結構目茶苦茶にやられちゃってたよ」
                           
 あと
 「それでもカッコ良かったですよ。そしてそんな僕達はその後すぐに御手洗潔という男性

 に出逢って、最後には彼に――救われた」

  ――驚いた。本当だ……言われてみれば確かにそうだ。『数字錠』事件当時は御手洗が

 宮田少年に優しく接することを内心やっかんだりもしていたが、思い起こせば私だって出

 逢ったばかりの頃は随分と彼の親切を受けていたのだ。しかし――…
     
 よぎ
  この胸に過る不安は何だろう? 私がその感情の正体に思いが至る前に、宮田青年はき

 っぱりとした口調でその不安を払拭した。

 「――でも、あの人が選んだのは貴方でしたよ」

 「――――」
                                   
かずみ
 「あの“御手洗潔”に自らの生活を変えてまで同居を望まれた人は――石岡和己さん、貴

 方でしたよ」

 「…宮田君、それは――…」

  違う。違うんだ。どう説明すれば良いのだろう。
           
ひと
  同居と言ったって、人間は感情だけでそれを行なうわけではない。その時々の状況とか、

 タイミングとか――

 「“親友”なんでしょう、石岡さん。例え御手洗さんが貴方のことをどう思っていようと

 ――貴方は彼のことが好きなんでしょう? 貴方がそれをしないで……一体、誰があの人

 のことを信じるんです?」

 「――――…」

  思わず、涙が溢れた。――解った。解った……彼の言おうとしていることが。私が見失

 っていた大切なことが。

 “信じる”。御手洗潔を信じる――ただその一言で、全て収まりの付くことだったのだ。

 こんな単純なことに私は気付けず悩んでいた。何と愚かだったのか。

 「解るんです、石岡さん……貴方のことを知っている僕には、いえ――僕だからこそ、貴

 方の気持ちはよく解る。自信なんて、人に言われたからってなかなか持てるものじゃない。

 考え込んだり、思い詰めたり……性格なんて、そんな簡単には変えられないんですよね。

 だから貴方が“あの御本”を読めばどういう感情に悩まされるかが、僕には胸が痛くなる

 程に理解出来た。それで僕は、どうしても貴方にこのことを伝えたくて……お宅へ、向か

 おうとしていたところだったんです。電話じゃ巧く伝えられる自信がなくて…――あの…

 …今もちゃんと伝わっているのかどうか、解りませんけれど……」

 「……ううん……」

  充分伝わっているよ、宮田君。君は大切なことを僕に思い出させてくれた。

 「本当に、……これはファンとしての勝手な意見なんですけどね。僕は“貴方の書く物語”

 の御手洗さん、大好きですよ。何だか厭味だとかだらしないとか意地が悪いとか……いつ

 も書かれていますけど。でも貴方はあの人が嫌いでそう書いているわけではないでしょう
     
みんな
 ? 読者の皆も――そういうことが見ていてよく解るから、あの人のファンになるんです。
 いぬぼう 
 犬坊里美さんにも確か似たようなことを、どこかで言われていたと思いますが……。

  こんなことを言ってはいけないんでしょうけど、僕は他の方が書かれた御手洗さんって、

 あまり素敵だとは思わないんですよね。立派な人だとは思いますけど……何て言ったらい

 いのかな。よく、解らないんですけど」

 「…………」

 「御手洗さんって優しいでしょ。僕みたいな犯罪者にでも、あの人は物凄く優しかった。
    
いま
 だから現在、外国で周囲の人達に人気があるっていうのも解る気はするんです。あんな人

 に親切にされれば、きっと誰だって嬉しいと思う。

  だけど御本を読んでいて……実際、お二人の遣り取りを目の前で見ていて、僕はとって

 も羨ましいと思った。“ああ、友達なんだなぁ”って。僕は特に、あんな風に思ったこと

 や我儘や、そういったところを堂々と曝け出せる友達っていないから――…御手洗さんに

 甘えられてる石岡さんが、本当に羨ましいと思った。だってあの人……他の人には貴方に

 するような悪戯や、揶揄い、って言うのかな……ああいうこと、そんなにはしないでしょ

 う?」

 「…………?」

  ――ふっ、と涙が止まった。確かにそう言われてみれば……私は必要以上にそうした目

 には遭わされてきたような気がする。しかし……

  そうなのか? 彼は私に甘えていたのか? そしてこれは……喜ぶべきことなのか?

 「貴方を永遠に失ったら平気ではいられないと思いますよ、御手洗さん。馬車道のマンシ

 ョンが――そこにいる“石岡和己”という人が彼には必要なのだと――僕は、心から信じ

 ています」
                               
  ひざうえ
  ――何だかもう途中から宮田青年の声が聞こえなくなっていた。再び膝上に幾数もの涙

 の雫が落ちてゆく。

  ごめん……御手洗。僕は本当に君の友人として失格しているかも知れない。僕は自分の

 ことしか見えてなかった。君の気持ちを、君の視点から考えることをしなかった。

  私は御手洗の超人的な能力を理由に彼が“特別”なのだと錯覚していた。しかしそれこ

 そが間違いだ。彼だって同じ人間なのだ。

 『異邦の騎士』事件の時、彼は言った。

 『君、僕だって独りぼっちだ』
 せんせいじゅつさつじんじけん 
 『占星術殺人事件』の時にはこうも言った。

 『寂しくなれば君もいてくれる、僕は独りぼっちじゃない』――…

  彼だって私と同じだ。独りでは寂しいのだ。私は心の奥底で彼が外国の友人達と親しく

 なってゆくことを快く思っていなかった。御手洗を追いストックホルムからウプサラへと

 移ったハインリッヒ氏とそれを勧めた友人の行動に、絶望に似た感情さえ抱かされた。

  しかし、ならば里美のことを私はどう説明すれば良いのだろう。彼女が岡山から横浜へ
             
 りゅうがていじけん
 移りたいと言った時、あの『龍臥亭事件』で私は里美の面倒を見ると言ったのだ。そして
 
いま
 現在、実際に私は彼女に去られることを畏れながらその付き合いを続けている。
          
ひと
  私と里美の関係も周囲から見れば微妙なものだ。御手洗はこのことを、一体どう思って

 いるのだろう――?

 「…僕って勝手だよね、宮田君……」

  ようやく口に出来たのが、そんな科白だった。

 「そんなに御手洗に逢いたいのなら彼が帰ってくれることを待つだけじゃなく僕が向こう

 に行けばいいんだよね。…それは……考えたこともあるんだけど……」

 「待って下さい、石岡さん。僕は貴方のことを責めているわけじゃなくて――」

 「解ってるよ。でもあいつの身になってあいつの気持ちを考えてなかった。確かに不安だ

 よ、こんな意志の弱い僕との友情を持続させるのは――。

  …でも弱いんだ。あいつだって弱いんだ。僕はそのことを忘れていた。離れて暮らすよ

 うになってから、僕は元気な様子しか聞かされていなかったから……。

  そうだよね、僕の鬱病なんて比べものにもならないぐらい、あいつの場合は凄いんだも
         
 はな
 の。そりゃあ誰かと話したいよね、傍にいて欲しいよね。何でこんなことに気付かなかっ

 たんだろう……気付いて、やれなかったんだろう……」

 「石岡さん……」

  宮田誠は少し心配そうに私の様子を見守っている。涙はもう止まっていた。頭上にある
              
 べにいろ かべん 
 桜の木々が、私達の足元に淡い紅色の花弁を散らす。
            
 あと
  長い沈黙があった。その後、私は彼と二人で友人の思い出話を穏やかに語り、同じ公園

 の中で数時間もの時を過ごした。

  別れの間際、彼は思い切ったように私を呼び止め、言葉を繋ぐ。

 「石岡さん――…言うべきか否か悩んでいたことが実はもう一つ、あるんです。でもこれ

 は、絶対に貴方の性質からは発想されない考え方だと思うので……やはり、言っておくこ

 とにします」

 「……何を……」

 「あの…――御手洗さんと石岡さん、コーヒーを断たれてましたよね? 僕なんかの為に

 申し訳なかったなって、ずっと気にしてたんですけど……でもそれを知った時は、おかし

 な表現になってしまうけど、何だかちょっと、……嬉しくて。その……お二人が僕のこと

 を気に懸けて下さっていたっていう事実が。――…あ…違うな……言いたいのはこういう

 ことじゃなくて……」

  彼は少し苦笑を洩らすとすっと私を正面から見つめ直し、言った。

 「つまり――御手洗さんは十年余りもの長い間、そういう“心に決めたこと”って言うか

 ――そんなことを実行してみせる男性だということで。もしかしたらあの人、心のどこか

 では石岡さんを日本へ残していった自分を責めているような部分があるのかも知れない。

 だから……

  ――解りますか? もしかしたらあの人、自分にとって一番したいこと――貴方に逢っ

 たり、頻繁に連絡を取ったり、そんなようなことを――自分を罰する為に、避けているの

 かも知れないと思ったんです。……僕の言っている言葉の意味、解りますか……?」

 「……何だって?」

  私は茫然とした。彼の言っている言葉の意味は解る。理解は出来るのだが――

  まさか、そんなことは。それは考え過ぎというものではないか。
                            
かお
  宮田青年はそんな私の様子を見て、幾分申し訳なさそうな表情をした。しかし、やはり

 考えがあって口にした科白だったのだろう、言ったこと自体は後悔していないという感じ

 だ。

 「あまり深くは考えないで下さい、ただ僕は――貴方に自信を取り戻して欲しかった。御

 手洗さんと貴方は僕の憧れだから――お二人には、幸せでいて欲しいと思っただけなんで

 す。本当にお節介だとは思ったけど、でも……貴方がもし落ち込んでいるのなら、何とか

 元気付けることが出来ないかなって……」

  ああ、と私は思った。本当に、目の前の青年は二十二年前のあの時と全く変わってはい

 ない。いや、寧ろ――

  強くなった。成長しないどころか年を追うごとに気弱になってゆく私とは大違いだ。
         
いのち
  私は宮田青年に生命を救われた思いで彼の背を見送った。周囲にはこれ以上なく穏やか

 な二人組に見えただろうが、私の心の中は突然の嵐に見舞われた旅人の如くの衝撃を感じ

 ていたのである。全く思いも寄らなかった考え方の数々に、私は放心さえしていた。一人、

 望んで残った公園のベンチに坐り直し、私はゆっくりと暮れてゆく空の色を眺める。

 「これと同じ空を……君も、どこかで見上げているのかな……?」

  ――御手洗。そうだよね、君は……

 “本当にそれが相手の為と判断するなら”大抵のことは実行してみせる男だ。“僕達の別

 れが二人の為だと判断したのなら”。君は――もっとはっきりとした形で僕を捨てていっ

 たことだろう。

  君がそうしなかった理由の一つが――“友情故”だったのだと自惚れてはいけないだろ

 うか?



 『どんなに不可解に見えても、理解が出来なくても、君は僕の言うことを信じてくれれば

 いいのさ』

  ――だから、私は今もまた、彼の言うことを信じる。



  友人と自分とを繋ぐ大きな空を見上げながら、“今度は自分が行動を起こす番なのかも

 知れないな”と苦笑と共に、思った。











≪ミタライ・カフェ≫を読んだ後の混乱が窺える作品(笑)。
だって物凄いショックだったんだもん、
ハインリッヒが御手洗に付いていったっていう件を見た時!
「あぁ〜、もう夢も希望もない」ってとんでもなく落ち込んだ記憶があります。
でもパロディ作家って落ち込んでてもそれをネタに小説書くんだから
面白い生き物だと自分で思う。
ある意味そういう気分で書いた小説っていうのも価値があるしね(笑)。




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