研究論文 002-2

御手洗潔の心の事情
みたらいきよしのこころのじじょう





  みたらいきよし     いしおかかずみ
  御手洗潔にとって、石岡和己という人物は一体どのような存在なのでしょうか?


                  
 なに
  二つ歳の離れた弟? う〜ん、これは何かピンときませんよね(笑)。それではやはり親

 友? この表現はお二人共意外によく使っているのですが(笑)、何だかこれも私にはピン

 とこない言葉なのです。


                                    
 けっ
  ――御手洗が石岡を初めて視界に収めた時。これはシリーズ愛好家の方ならば決して忘

 れることの出来ない名場面として今も再現して下さっているのでしょうが、彼は目の前に

 いる青年に対し一方ならぬ保護欲を唆られたのだと言います。つまり――“自分が彼を守

 ってやらなければ”、という使命感ですよね。そうこうしているうち二人は親交を深め同

 居をするまでに至ったわけですが、シリーズ序盤から中盤まで、彼は石岡に対しいくつか
                 
せんせいじゅつさつじんじけん
 の謎解きを促していました。仮にも≪占星術殺人事件≫でインテリ・ミーハーを自称して

 いたぐらいなのですから、実際に謎を提示された本人も初めはそれなりに自分の見解を披

 露していたんです。……ところが。



  一体どうした事情からか、シリーズ中盤へ差し掛かった辺りから石岡は“自分で物を考

 える”ということに積極的ではなくなってしまいました。ここへきて――御手洗が口にし

 た例の問題発言、そう――“知性の退化”に関する指摘です。実は御手洗にはこの科白を

 言った時期“大切な犬に死なれ落ち込んでいた”という背景があったのですが、その犬を

 弔った日に、彼はこんなことを言ったのです。「人間の死はなんて楽なんだろうね。いく
                         
 
 らでも嫌な面を思い出すことが出来る」。それから数年後、とうとう御手洗は置き手紙一
                                 
 あと
 つ残して馬車道のマンションから海外へと姿を消してしまいました。その後、石岡が解決
        
 りゅうがていじけん
 を任されたあの≪龍臥亭事件≫が
発生するのです。



  皆さんがどのくらい重要視されているのか分かりませんが、私はどうしてもあの科白が

 気になって仕方がありません。「人間の死はなんて楽なんだろうね。いくらでも嫌な面を

 思い出すことが出来る」――?


                           
いのち
  では、とここで考えてしまう。果たして御手洗は石岡が生命を落とした時どういった心

 境、または状態になるのだろう、と。そこで「ああ…う〜ん、そうなのかな」と……自分

 の中ではそれなりに納得が出来てしまったわけです。――要するに。



  石岡は彼にとり“最も犬に近い存在なのではないか”と。“御手洗潔は権力者や女性に

 は酷く無遠慮な態度で接するが青少年、特に大人しやかな青少年には驚く程に優しく接す

 る”と言われている例のアレ…ですよね。しかも更に突っ込んで言わせていただくと石岡

 との出逢いというのは皆さん御存じの通り“あんな状況”だったわけですから(笑)。彼の

 目には“雨の中に捨てられた病弱な仔犬”の如く映っていたとしても、別段不自然な話で

 はありません(まさか動揺のあまりコーヒーの砂糖を散ら撒いてしまった、とまでは言い

 ませんが。でもあの時の彼、確かに様子はおかしかったですよね? 好みの青年が訪ねて

 きたから、なんて理由じゃなければいいけど……:苦笑)。



  とにかく――そうして出逢い、生活を共にし始めた犬だけれど、彼がなかなか“自分で

 生きる努力をしてくれない為”、御手洗は自分の存在が相手の成長を妨げているのだと気

 付いた。…これでは苛立ちもするでしょう(自らを含めたあらゆるものに対して)。



  御手洗にとっての“犬”は一般の方々の概念とはかけ離れた世界に属する、最も高貴な、
                 
 いぬ
 親愛なる存在。実際彼は≪ギリシャの犬≫でも「優秀な一匹の犬は、百人の警官に勝ると

 いうことさ」という名言を残しているし、「頭の悪いサイベリアン・ハスキーは好きです

 か?」という読者からの質問にも以下のようなコメントをしています。



 御手洗「ぼくがこれまで一番好きだった犬はね、芸を教えてもすぐに忘れてしまう。新聞

     を取ってこいと言うとスリッパを持ってくるんです。でも悪気があるんじゃない、

     彼はそれで精一杯なんです。一生懸命だったな。性格ですよ、犬は。それが一番

     だな」
 
しまだ 
 島田 「つまり好きなんですか?」

 御手洗「犬の場合はそうです」

 島田 「犬の場合は……、じゃ人間は?」

 御手洗「人間は、頭が水準以上の人でないと、ぼくの目には見えないんです」

 島田 「レーダーに映らないと?」

 御手洗「そうですが、これは教養という意味ではないですよ」



  そしてもう一つ。御手洗は“犬というものを(世間一般で言うところの)人間と同等の

 存在として見ているらしい(…と言うか本当はこの表現も物凄く高慢な言い方なんですよ

 ね。こういう注釈を入れなければならないことが既に、世間が人間以外の生き物を常に見

 下しているという証拠だと思う。厭だなァ)”という憶測にこの例があるのですが、彼は
      
 はな
 作中で“犬と話したり遊んだりしている”場面を見せても、何故か“世話をしている”場

 面というのは一度も見せてくれたことがないのです。もしかしたら「何ソレ勝手な人」と

 怒ってしまう方もいらっしゃるかも知れませんが、これは見方によっては彼が犬を“愛玩

 動物”だなどと思っていないことの説明になるような気がします。だって病気でもない友

 人の“生活の世話”なんて普通はしないでしょう? ――で、結論。



  犬とは。彼にとって非常に欠かせない大切な存在であるわけで。もし石岡がこの位置に

 該当するのだとしたらそれは(特別地域にて定着しつつある)“御手洗潔同性愛者説”を

 覆す(気休め程度の)材料となり得るのではないかと思うのです。…まあ一つだけ気にな

 る点といえば――彼が以前「結婚するなら(女より)犬の方がいい」と言っていた事実な

 んですけどね(う〜ん、ごめん石岡さん。何故かどう取り繕っても最後は話がそっち方面

 に飛んじゃうわ。おかしいなぁ、弁護しようとしてるのになぁ?:泣)。



  御手洗潔にとって、石岡和己という人物は一体どのような存在なのか。…解析したい方
      
 とお かがや
 は、≪さらば遠い輝き≫を御覧になってみて下さい(余計に混乱するっつーの:苦笑)。





2001. AUTUMN



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