研究論文 002-1

石岡和己の心の事情
いしおかかずみのこころのじじょう





  いしおかかずみ     みたらいきよし
  石岡和己にとって、御手洗潔という人物は一体どのような存在なのでしょうか?



  整った面立ちの男性二人が十五年近くもの間同居を続けていれば世間(主に女性読者)

 に色々と勘繰られてしまうのはある意味仕方のないことで、シリーズ愛好家の間では彼等

 が同性愛者なのではないかという噂も広まっているぐらいです。斯くいう私もその種の話

 は嫌いではないので(と言うか寧ろ好きなので:笑)何気ない会話等を怪しんだりもして

 いたのですが、正直に申しますと私はこの二人の男性に“絶対的な友情”を求めている為、

 それが真実だった場合は暖かく見守りたいと思う反面、多少複雑な心情になることも否め

 ぬことと思うのです。



  石岡和己にとって、御手洗潔という人物は一体どのような存在なのか。こちらは当人の

 言葉を信用するなら、答えはもう見えています。



 「それはもうなんとでも……、もうなんとも言いようがないな。人生のすべてのように見

 える時もあるし、本当にヤなやつって感じる時もあるし、そういう時はもう腹がたって、

 こいつに生涯かけて復讐してやろうかなと。でもやっぱり……、正直に言うと、永遠に追

 いつけない、極められない憧れかなー」



  これまでの発言や心情描写から見ても彼が“ただ一人の女性”を想い続けていることは

 明白で、御手洗のことは“頼りになる尊敬すべき心友”だと見ているのは(まず90%)間

 違いがないだろうと思われます。――が。



  ここで引っ掛かってくるのが“同居人の本心”。そもそも御手洗側から見た人物描写や

 心理描写が示されていないから、皆の仮説も憶測の域を超えられないのです。



  …けれど、これは探りを入れれば入れる程“恐ろしい事実”が次々と露見してしまいま
    
すいしょう
 した。≪水晶のピラミッド≫における発言は最早“女性嫌い”どころの規模ではなく、そ

 れを石岡に打ち明けると同時に彼の女性不審をも煽ろうと仕向ける始末。また御手洗がレ

 オナに与える“飴と鞭”は石岡がいれば後者、いなければ前者と使い分けているように思

 うのは私の考え過ぎなのでしょうか?(しかも同作品で雨の中佇むレオナを無視し続けて

 いた御手洗は、石岡が見兼ねて外へと飛び出した途端に自分も部屋から降りてきた) そ

 ういえばある時期から「彼は女好きで……」というようなことを公言して廻るようになっ

 た御手洗ですが、そんなことを言われれば周囲の女性も警戒するだろうし、それ以前に石

 岡自身が性格的に彼女達に近付きにくくなることは分かりきっているはずなのに――……

 あれが冗談ではなく意図されたものだとすれば、それこそ理由が分からない。成長を望む

 程に大切な友人ならば尚更、同居生活の崩壊防御の為だけに賢者が取るべき行動ではない

 ように思うのです。大体、彼をどう見ているのかという種の質問をすると決まって嘲笑を

 浮かべ口を噤んでしまうのは何故なんでしょう(答え:筆者の作戦:笑)。ストレートに

 問い詰めると異様な程に怒るしね?(笑)



  どうやら、この辺りの問題は逆の立場から攻めた方がより真相に近付ける気がします。
                   
 
みたらいきよし こころ じじょう
 下らない考察にお付き合い下さる方は、
≪御手洗潔の心の事情≫
を御覧下さいませ。




2001. AUTUMN



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