EXTRA STAGE 018-1 / TYPE-S

第六夜
だいろくや






     ねえ 君を知ってから

     身体中が火照って 仕方がないんだ

     今夜 君の元へ忍んでいってしまおうか
          いと
     
僕の―― 愛しい恋人





  その時期、僕は軽い鬱状態にあった。

  手掛けている論文が遅々として進まず、理論が頭の中で空回りしている。

  原因は――何となく。自分でも解っていた。
                                       ・・
  僕の心の奥底に潜んでいた保護欲や支配欲、そうしたものを無遠慮に掻き立てる、あの

 同居人のせいだ。

  僕は彼のことをある意味ではとても純粋に、ある意味ではとても異常な程に愛している。

  恐らくは、出逢ったあの瞬間から。

  自分の気持ちを認めるまでにはそれなりに時間もかかったが、それはもう納得もしたし、

 一生付き合わなければならない感情と諦めもした。

  だが。

  いつもはそんな想いには囚われないようにしている。当たり前だ。彼とは同居している

 のだから。

  彼は僕のことを最も近しい友人だと信じているし、望めば美味しい紅茶だって淹れてく

 れるし、家事だって、雑事だって――…当人はまぁ不本意に思っているのだろうが――そ

 れら全てを引き受けてくれている。事件捜査で遠方へ出掛けることがあれば一緒に入浴し

 なければならないことも眠らなければならないこともある、だから――常に彼への愛情を

 意識して生活しているわけではない。当然だ、そんなこと。とてもではないがそうしなけ
        
 
 ればこちらの身が保たない。世間がどう思っているのかは知らないが僕だって一応は生身
                            
 なん
 の人間であり、一人の男なのだ。“愛情を抱いた相手に対して何の欲もない”などという

 嘘は、吐けと言われても吐けない。
                            
さいちゅう
  だから事件のことや研究のこと、そうしたことを考えている最中は自分でも薄情に思え

 る程綺麗さっぱりと彼のことを思考の中から追い出すことが出来る。しかし……

  今日のあれは、マズかった。

  彼の前で、勃起した――もしかしたら、気付かれてしまったかも知れない。

  いつもの散歩、よくある通り雨、珍しくない軒下での雨やどり。だから、油断していた

 のだ。
                        
 はだ
  まさか彼が雨に濡れた肌を透かす白いシャツを更に開けてみせるなんて、そんな恰好の

 まま僕の正面に向かい立ち、こちらの前髪をそっと掻き上げてくるなんて。

 『また伸びてるなぁ……どうしてこんなに伸びるのが早いんだろう、君の前髪は。――…
                     
 いえ
 でもまぁ、このぐらいならすぐに終わるしね。家に帰って落ち着いたら、僕がやってあげ

 る』
   
 あと
  あの後のふんわりとした笑顔がもう決定打だった。首筋を伝い鎖骨へと流れる水滴、僕

 の髪を掻き上げた器用そうな細い指。頬、顎を滴る雫……それら全てが自分故の汗なら、

 体液ならどんなにいいだろうと酷く……その場には不似合いな程猥雑な性の衝動に駆られ

 てしまったのだ。

  ――周囲に人はいなかった。
       
 ひら
  ついその薄く開いた唇を……奪いそうになった。

  エレクトしたのはその瞬間、だから――ずっと僕の顔を見上げていた彼には気付かれず

 に済んだのかも知れない。……だが。

  結局僕の前髪は切られないまま夜になった。

  僕が彼との接触を拒んだからだ。

  散歩前に僕の興味を奪っていた近所のラブラドールの面影はあの雨やどりで跡形もなく

 姿を消した。

  キスしたい、キスしたい、キス…したい……――一度だけでいいんだ。

  午前二時。

  悶々とした気分を抱え僕はベッドから身を起こす。
 
                 
  触れるだけでいいんだ……そう、ただ触れるぐらいなら……





  第一夜。

  僕は彼の寝室に忍んだ。

  そしてその安らかな寝顔を見下ろし、切なさに胸を疼かせ――

  柔らかな前髪をふわりと掻くと。

  そっと……その額に甘く口吻け、物音を立てぬよう、部屋を去った。





    
***
*******





  自室のベッドに身を横たえつつ、新作の構想を頭に思い浮かべる。――…駄目だ……事

 件の恐ろしさが、これでは読者に伝わらない。それにしても……

  ――昨日のあれは、一体、何だったんだろう……

  おかしな夢。夢……夢、だったんだろうか?
  
さくや
  昨夜午前二時頃。

  今日と同じように考え事をしながらベッドに就いていたら部屋の扉が静かに開かれ僕は

 気配に瞼を上げた。

  部屋の外へ繋がるリビングのライトも消えていたので判然とはしなかったが、その人影
                  
みたらい
 の正体は強盗でなければ同居人である御手洗のはずだ。
 
 なに
  何か事件でもあったのか? と一瞬そんな考えが頭を掠めたがどうやらそれとは様子が

 違う。
              
 ゆか         えが   
せいぶつ
  窓のない部屋特有の真っ黒な床の上に更に濃い影を描き近付く生物に何故か軽い違和感

 を憶え、僕は咄嗟に眠っている振りをしてしまった。寝顔を確認されている気配、心臓が

 何事だと早鐘を打ち続ける。

  すると“彼”は――

  すぅ、と僕の前髪を掻き額に数秒間自らの唇を押し付けて。

  ふっと短く嘆息するとさっさと部屋から出て行ってしまったのだ。

  闇の中。

  静かに寝返りを打ちながら僕は鼓動を騒がせる。
    
 
なん
  ――…何…だ……? 今の……

  双眸は閉じていた。彼の姿を見たわけじゃない、でも――

  今のは間違いなく御手洗だった。何となく。僕には解る。
                             
ねつ
  彼の指先の、長く伸びた前髪の触れた部分がチリチリとした微熱に疼くようだった。

  あれはきっとアメリカンナイズなスキンシップに違いない、深い意味などあるはずがな

 いのだとどんなに自分に言い聞かせても、心の波は穏やかにはならなかった。
      
さくや
  これが、昨夜の奇妙な出来事。

  結局僕は考えても仕方のないことと納得し、彼の行動については全てを忘れることにし

 た。

  なのに……





  第二夜。

  またしても彼はやって来た。

  やはり昨日のあれは夢ではなかったのだと思うと同時、僕は再び寝姿を演じなければな

 らない羽目となってしまう。
  
さくや
  昨夜と同じ秘めやかな唇で額に触れ、頬に触れ、彼はまた深く吐息した。優しい指先で
                       
  
 僕の唇をつっとなぞると、思い切ったように部屋を出て行く。

  扉の閉まる音を確認しないうちから僕の右脚は小刻みに震えていた。

  相手の表情の見えないことがどれ程の不安と恐怖を呼ぶものか、はっきりと思い知らさ

 れた夜だった。





   
***
*******





  第三夜。

  僕は自分の唇を彼の唇にそっと触れさせ、逃げるように慌てて部屋を飛び出した。

  思い描いていた以上に熱く柔らかな彼の唇に身体の芯が甘く痺れ、気が付くと、僕は吐

 精していた。





   
**********





  ――もうそろそろ、彼も不自然に思っている頃なのではないだろうか。こんな、僕のこ

 とを……

  解っていても、今更演技はやめられない。

  第四夜。
                        
 けっ
  彼は僕にそっと口吻け優しくその唇を吸ってきた。決して音は立てぬよう。息を殺し。

 気配を殺し。

  僕は穏やかな引力に身を委ねながら一体どうすればいいのかと泣きたくなった。

 「――…ん、っ……」
        
 しか
  息苦しさに眉を顰めながら僕は少し声を洩らしてしまったのだと思う。

  彼は唇をすっと外すと僕の反応を確かめ身を引いた。

  人の体温が遠ざかり、小さく扉の閉まる音。

  僕は腔内に残された唾液をゆっくりと呑み込むと、左手でその口元を覆い……声を殺し

 て、泣いた。





   
***
*******





  第五夜。

  今日も穏やかな微笑を浮かべ彼は僕を待っているかのように大人しく眠っていた。

  双眸を深く閉じ。

  唇を薄く開き。

  彼は恋人とキスをしている夢でも見ているのだろうか、唇を吸うと静かに舌を挿れてく

 る。僕は全身に駆け巡る痺れを我慢し柔らかな舌を受け入れた。僕が唇を動かす度ににち

 ゅ、くちゅ、と音がする。彼は健気に舌を差し出しながらゆっくりと僕の唇を吸い返した。

 小さな電流が身体中を流れ続ける。どうしようもないぐらいに感じてる。

  軽く握った掌を右肩の真横で緩やかに蠢かせ彼は僕のキスに応え続けた。

 「…ぅっ、ん……――…んっ…んっ……」

  淫らな夢に酔う者のように苦しい吐息を素直に洩らし彼ははあはあと幽かに呼吸を乱し

 ている。
             
 よじ     そぶ
  次第に彼が涙を滲ませ身を捩るような素振りを見せ始めたので、僕はさっと身を起こし

 足音を忍ばせると部屋を出た。

  僕は真っ暗なリビングの中央に蹲り震える右手で顔を覆う。

  ああ――毎晩毎晩。僕は自分の親友に対し何という身勝手で惨酷なことをしているのだ

 ろう。
   
 
  一度触れればそれで納得出来るだろうと思っていた。満足出来るはずだった。なのに―

 ―

  日を追うごとに身体への欲求は強くなる一方だ。このままでは、いつか――厭がる彼を

 押さえ付け、無理にでも全てを手に入れたくなる日が来てしまうかも知れない。
   
いしおかくん
  ……石岡君……

  ごめんね、抑えきることが出来なくて。

  本当に、ごめんね…――





   
**********





  第六夜。

  僕は待ち侘びていた。

  彼が僕に触れてくる、あの夢のような瞬間を。

  だが――



  いつもの時間をとうに過ぎても。

  彼は、僕の部屋へは来なかった。



  眠れない……眠れない。どうして今夜は来てくれないんだ、僕はそんなにつまらなかっ

 た?

  御手洗……ねぇ御手洗、ほんの数日前までは。君にこんな気持ち、抱いたことがなかっ

 た。想像したことすらなかったんだ。なのに……

  おかしいよね、君に無言の告白をされていたのは僕の方だったはずなのに。今ではこん

 なにも君の唇が恋しい、まるで――僕の方が始めから君に焦がれ続けていたみたいに。
                   
 ゆか
  僕はすっと寝台から身を起こすと素足を床へ降ろしゆっくりと立ち上がった。

  ああ――この渇きを癒せるのは君の与えてくれるあの温かな甘露だけ。

  僕は心の内でそう呟くととうとうリビングへと通じる禁断の扉を開けたのだった。





     
ねえ 君を知ってから

     
身体中が火照って 仕方がないんだ

     
今夜 君の元へ忍んでいってしまおうか
         
 いと
     
僕の―― 愛しい恋人











≪words EXTRA STAGE≫017-1 へ ≪words EXTRA STAGE≫トップへ soon...